ファシズムはそこにある


安倍前総理の頃から、自民党は、かつての幅広い人材を擁し、戦前の軍国主義への反省の念を有する議員もいた自民党とは様変わりをしてしまいました。

安倍前総理は南京虐殺を否定する意見広告に名を連ねるなど歴史修正主義を前面に出し、LGBTQへのレイシズムや、男女平等への反対を訴える杉田議員を国の宝と評し、貧困バッシングを繰り返す片山議員を閣僚に登用し、外国への反発(排外主義)を煽るなど、ファシズムへの傾倒がみられます。

安倍前政権の下で、あいちトリエンナーレの表現の不自由展に見られるように、政権にとって都合の悪い思想表現が政治権力の側から抑圧されるという、表現の自由が危機的な状況にまでなっています。

ファシズムは決して過去のものではありません。政権に対する批判の目をきちんと持つようにしないと、ファシズムはじわじわと我々の社会を侵食してゆくことになるでしょう。それは、結局、わが国の国益を害し、国の健全な発展を阻害することとなります。

政治への健全な批判の目を持ちましょう。




1 はじめに

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筆者:柳川行雄

(1)あいちトリエンナーレの表現の不自由展・その後の中止

国際芸術祭「あいちトリエンナ ーレ」の企画展である「表現の不自由展・その後」に対し、菅官房長官が圧力をかけるがごとき発言をし、また河村たかし名古屋市長が中止の申入れを行うという驚くべきことが行われた。また、河村市長は、表現の不自由展・その後に対する抗議活動を奨励するかのごとき発言もしていた(※)

 朝日新聞DIGITAL 2019 年08 月02日記事「少女像展示『中止を』 河村市長が知事 に申し入れへ」による。

すなわち、政治権力を有している者が、国民の言論・表現に対して、その内容が自らの主義に反することを理由として中止を求めたのである。そして、驚くべきことに、この企画展は、その翌日の8月3日に中止となった。

中止の公式な理由は、外部からの脅迫的な抗議があり、参加者の安全が守られないというものである。この理由には嘘はないのかもしれないが、その背景に菅官房長官の圧力や、河村市長の中止の申し入れがあったことを否定することはできないだろう。

まさに言論・表現の自由が、政治権力を有している側からの圧力に屈したのである。


(2)自民党からの批判活動

あまり報じられていないが、与党である自民党の「日本の尊厳と国益を護る会」が、この企画展に「平和の少女像」が展示されていることや、昭和天皇の写真が燃えている作品が展示されていることに対して「公金を投じて行われるべきものではない」との意見を表明していた(※)

 産経新聞 2019 年08 月02日記事「自民『護る会』、慰安婦像展示イベント『公金投じて行うな』」による。

産経新聞の記事によると、「護る会」は展示の内容について「『芸術』や『表現の自由』を掲げた事実上の政治プロパガンダであり、公金を投じて行われるべきではない」とし、「国や関係自治体に速やかに適切な対応を求める」としたとされる。

すなわち、展示の内容の主張が政権与党の考え方が異なるという理由で、政治権力を有する「国や関係自治体」に対して「適切な対応」を求めているのである。

「護る会」のメンバーは一部に名前を隠している議員もいるため明確ではないが、LGBTQに対する問題発言を行った杉田水脈議員や谷川とむ議員などが幹事を勤めている。護る会そのものは政治家の集まりであるから政治的な発言も許されようが、護る会が意見を表明した日に、政府の高官である菅官房長官が「補助金交付の決定にあたっては、事実関係を確認、精査して適切に対応したい」と述べた(※)ことは看過できない言論・表現への抑圧であろう。

 日本経済新聞 2019 年08 月02日記事「補助金交付『適切に対応』 慰安婦像展示巡り」による。

政府が、国民の思想・信条に関して、その内容に応じて対応を変えると言っているのである。まさに、自民党政権はファシズムへ一歩踏み出したというべきであろう(※)

 ただし、JIJI.com(時事通信) 2019 年08 月08日記事「企画展中止、政権の意向否定=柴山文科相」によると、柴山昌彦文部科学相は「補助金が出る事業について政権の意向に沿ったものしか認めないというようなことを言ったこともないし、毛の先ほども考えたことはない」と述べたとされている。批判を受けたために、自民党もこのように言わざるを得ないところまで追いつめられたのである。


(3)河村たかし名古屋市長による中止申し入れ

一方、先述したように河村たかし名古屋市長は、8月2日に、少女像の展示について、「日本国民の心を踏みにじる行為で、行政の立場を超えた展示が行われている(赤文字強調引用者)」と、「展示中止を含めた適切な対応」を愛知県知事に対して申し入れている(※)

 朝日新聞DIGITAL 2019 年08 月02日記事「少女像展示『中止を』 河村市長が知事に申し入れへ」による。

河村市長は、菅官房長官とは異なり、かなり露骨な表現をしている。まさに、内容が自分の信条と異なるという理由で、表現・言論を封殺しようとしているのである。市長は、政治家としてではなく市長として発言しているのであるから、まさに政治的な権力を有する側が、臆面もなく国民の言論を封殺したのである。

さらに、河村市長は「表現の自由は憲法21条に書いてあるが、なにをやってもいいという自由ではなく、一定の制約がある」と主張している(※)。これは、憲法21条の表現の自由の制限に、政治権力を有している者の意思に反するものが含まれるとしているわけで、まさに暴論としかいいようがない。公共の福祉に反する表現の自由の制約は、名誉棄損、業務妨害、著作権法違反、猥褻物など、他社の権利を損なうような場合でなければ正当化されない。表現の自由は、逆に政治権力を有している者にとって都合の悪い内容こそ護られなければならないものなのである。

 朝日新聞DIGITAL 2019 年08 月06日記事「『日本人の心を踏みにじるようなもの』河村市長一問一答」による。


(4)表現の不自由展・その後に対する批判派は、なぜ誤りなのか

ア 公共の場でこそ思想・信条への制約があってはならない

表現の不自由展・その後に関して、税金が使われているのだから少数派の意見を紹介するべきではないとか、政治的な発言をするべきではないという議論が一部で行われている。

しかし、それは全くの誤りである。税金が政治的な活動に利用されてはならないのであれば、政党交付金はいったいなんなのだろうか。筆者は政党交付金には問題があると考えているが、自民党はこれを受け取っている。これこそまさに我々の税金から出ているわけであり、それが自民党の政治活動に使われているのである。

 共産党も、政党交付金はおかしいという立場で受け取っていない。それなら、共産党が受け取るべき分は国庫に返すのが当然だと思うが、自民党政府は共産党が返した分まで、自民党など他の政党に分配してしまうのである。そしてそれ(税金)は、片山さつき議員が貧困バッシングをするためにもつかわれているのである。

国民が様々な意見を持っていることは当然である。それらの意見が自由に表明され、その中で国の在り方を決めてゆくのが民主主義である。そのために、行政が内容にかかわらずに、様ざまな政治的な意見を表現する場を提供することは民主主義を保障するためにむしろ必要なことなのである。

なお、河村市長が「10億円も税金を使った場所で展示し、あたかも公的にやっているように見える」(※1)と主張しているが、これは誤解を生むミスリードである。確かに、あいちトリエンナーレ全体の開催費用は約12億6500万円であるが「表現の不自由展・その後」の費用は約420万円であり、しかも国の補助金や県と名古屋市の負担金は一部に過ぎず、多くはチケット収入や企業協賛金などなのである(※2)

※1 中日新聞2019年08月03日記事「慰安婦像の撤去要請 河村市長、大村知事に」による。

※2 中京テレビ2019年08月02日記事「『表現の不自由展、その後』少女像展示で混乱 あいちトリエンナーレ『企画展の予算10億円』情報はミスリード」、朝日新聞2019年08月17日記事「表現の不自由、きしむ芸術祭 あいちトリエンナーレ」など。

イ 少女像がヘイトだという主張は誤りである

少女像など表現の不自由展・その後の一部展示物が、日本人に対するヘイトであるから許されないという議論がある。

しかし、これはヘイトの意味を誤っている。少女像がヘイトになることなどあり得ない。かつて、旧日本軍が隣国の女性に対して、性的な犯罪行為を行ったことは日本国政府も認めて公式な謝罪を行っているのである。ところが、それにもかかわらず一部の政治家がこれを否定しているに過ぎないのである。

そして、少女像が、そのような歴的事実である従軍慰安婦事件の犠牲者となった方々の悲劇を忘れないなどの意思表示であることは明らかである。

これが、日本人に対するヘイトだというなら、広島の平和記念館は米国人に対するヘイトだということになるだろう。米国では、さすがに原子爆弾を都市部に投下したことを否定するものはいないが、これを正しい行為だと主張している者は多いのである。

また、アンネの日記を出版することや、米国ワシントンのホロコースト博物館もドイツ人に対するヘイトだということになってしまうだろう。ドイツにおいてもまた、我が国で旧日本軍の行為を肯定したがっている者がいるのと同様に、ナチの行為を肯定したがっている者はいるのである。まさにアンネの日記は、これらのネオナチの「心を踏みにじるもの」であろう。

しかし、これらがヘイトであることなどあり得ない。広島の平和記念館の展示物は多くの訪れる多くの米国人を感動させ、また、アンネの日記は今もなお多くのドイツ人の心を打つのである。

私もまた、日本人の多くは少女像によって、心を打たれると信じたい。河村市長の「どう考えても日本人の心を踏みにじるものだ」という言葉こそ、私の心を踏みにじるものである。