※ イメージ図(©photoAC)
北海道白老郡白老町にあるウポポイ(民族共生象徴空間)へ行ってきました。アイヌ民族の文化の啓蒙のために 2020 年に開設された国の施設(※)で、1万平方メートルの敷地に博物館や体験交流館などが点在しています。なお、ウポポイとは(多人数が一堂に会して)歌うことを意味するアイヌ民族の言葉です。
※ 施設の敷地は、1976 年から 2018 年4月まで「しらおいポロトコタン(旧アイヌ民族博物館)」があった場所である。ウポポイより歴史が長いため、ポロトコタンを訪れたことのある方の方が多いだろう。
なお、ポロトコタンのシンボルであったコタンコロクル(村長)の像は、老朽化を理由に閉館後に撤去され、ウポポイには継承されなかった。これは、1969 年に白老町内のカーレース場に設置されたもので、レース場廃業後に放置されていたのを、ポロトコタンが開設した後で 1979 年4月に施設の入り口に移設したものである。高さ約16m、幅約7mの FRP 製の像であった。
ウポポイを訪問して、2時間ほどを敷地内にある国立アイヌ民族博物館やその他の施設で過ごしましたが、何か違和感を感じていました。旧ポロトコタンに比べると、博物館の展示施設などは洗練されてはいるのですが、どちらかといえばよそよそしさを感じます。旧ポロトコタンとは違って、ウポポイは「きれいごとの世界」で飾られたたんなる観光施設という感じがするのです。
それもそのはずです。ウポポイは、アイヌ文化の表面的な部分を美しく展示することだけを目的とする施設なのです(※)。和人とアイヌ民族の間には、過去には支配し支配される関係があり、抑圧と抵抗(解放運動)と同化の歴史があるのですが、そのようなものはまったく感じられません。他都府県からやってくる観光客も、そんなことにはまったく関心がないようでした。
※ ウポポイの敷地には、北海道大学などが盗掘して収集・管理していたアイヌ民族の遺骨で、何らかの理由でただちに返還できない御霊の慰霊施設もある。パンフレットには、(遺骨は)「大学において保管されていた」とだけ記述されており、盗掘やその後の返還訴訟などについての記述は全くない。
職員の方はとても親切で、個別にお聞きするとアイヌの和人に対する考えなどもお話し頂けることもあります。しかし、ポロトコタンでは公的な講演などの中でも、職員の方がもっとストレートに本音で話していた雰囲気があったように思います。
札幌市内にある北海道博物館や札幌市アイヌ文化交流センターの方が、アイヌ民族の伝統文化のみならずアイヌ民族への差別の歴史が学べます。また、資料の展示という意味では、アイヌばかりか北方民族全体について、北海道大学植物園 北方民族資料室にも十分な資料がありますし、北海道大学総合博物館では、アイヌの神謡のレコード記録など貴重な資料を見ることができます。
一方、アイヌ関連の北海道内のたんなる観光施設であれば、筆者は行ったことがありませんが「阿寒湖アイヌコタン」もあります。ウポポイの存在意義は、何なのでしょうか。
- 1 ウポポイ(民族共生象徴空間)とは
- (1)ウポポイの創設までの経緯
- (2)遺骨の回収・保管と慰霊
- (3)ウポポイの基本的な構成と営業状況
- (4)不調な来場者数と本質を外れた「対策」
- 2 差別の問題や支配・収奪と植民の歴史が全く語られない
- (1)きれいごとだけの展示で民族共生が実現するのか
- (2)負の歴史に向き合わないまま民族共生が可能なのか
- (3)必要なのはアイヌ民族との本心での触れ合いではないのか
- 3 最後に
- (1)違いを知ることは大切だが、大切なことはその先にある
- (2)真の民族共生のために
1 ウポポイ(民族共生象徴空間)とは
執筆日時:
筆者:平児
(1)ウポポイの創設までの経緯
※ イメージ図(©photoAC)
北海道白老郡白老町のウポポイ(民族共生象徴空間)へ行ってきた。アイヌ民族(※)は、言うまでもなく東北北部、北海道、樺太、千島にかける広大な地域の先住民族の総称である。その文化や伝統を知るための施設が、北海道には数多く存在している。ウポポイもそのひとつで、国が 2020 年に開設した施設である。
※ 民族とは、そこに所属する人々がどのように考えるかによって、他と区別される社会学的な集団である。生物学的な分類でもなければ、遺伝子によって区別されるグループでもない。まして外見によって区別されるわけでもない。なお、「人種」というやや非科学的な概念とはなんの関係もない。
ウポポイ開設の構想は、2009年7月の「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会報告書」までさかのぼる。その報告書では、「国民が広く集い、アイヌ文化の立体的な理解や体験・交流等を促進する民族共生の象徴となるような空間を公園等として整備することが望まれる
」とされた(※)。
※ その背景には、2007年9月に国連で採択された「先住民族の権利に関する国際連合宣言」の第 11 条第2項で「国家は、その自由で事前の情報に基づく合意なしに、また彼/女らの法律、伝統および慣習に違反して奪取されたその文化的、知的、宗教的およびスピリチュアル(霊的、超自然的)な財産に関して、先住民族と連携して策定された効果的な仕組みを通じた、原状回復を含む救済を与える」とされたことや、第 12 条で「先住民族は、(中略)遺骨の返還に対する権利を有する」とされたことがあった。
この報告書を受けて政府が設置した「アイヌ政策推進会議」の「「民族共生の象徴となる空間」作業部会報告書」が2011年6月に出され、新しいアイヌ民族施設の基本的な姿が示された。そこには「国が中心となり、地方公共団体や民間団体等と連携し、「広義のアイヌ文化の復興」、「アイヌの歴史、文化等に関する国民の理解の促進」に係る政策を積極的に推進していくことが求められている
」とされてはいる。しかし、過去の差別や植民地支配についての歴史を明らかにし、差別をなくしてゆくという発想はなかった(※)。
※ 報告書には、「差別」、「植民地支配」、「弾圧」などの言葉は、まったく使われていない。報告書はその事実からは目を背けたのだ。なお、このときは、極右の第二次安倍政権が始まる前だったが、そのときでさえこのありさまだったのである。
しかし、和人とアイヌの関係を語るとき、またアイヌの文化を語るとき、その差別と抑圧・収奪の歴史を避けて通ることはできないのではなかろうか。
それを受けて、2012年にアイヌ政策関係省庁連絡会議の「「民族共生の象徴となる空間」基本構想」が示され、2016年には、アイヌ総合政策推進会議の「「民族共生象徴空間」基本構想(改定版)」が示されている。ここでもその目的は「文化伝承・人材育成機能」などに限られた。過去及び現在の差別と支配の実態を明らかにし、その反省のもとに立って、その解消を目指すという発想は、ついに含まれることはなかったのである(※)。
※ このときは、すでに第二次安倍政権(2012年12月26日~2020年9月16日)の時期であり、和人によるアイヌへの差別を認めることは考えられない時期であった。
そして、2014年6月に「アイヌ文化の復興等を促進するための民族共生象徴空間の整備及び管理運営に関する基本方針について」が閣議決定された。その中において、「アイヌ政策推進会議の下で推進している施策の中核となる民族共生象徴空間(中略)の整備及び管理運営
に取り組むとして、北海道白老郡白老町にウポポイ(民族共生象徴空間)を整備することが政府の正式な意思として決まったのである。
(2)遺骨の回収・保管と慰霊
ア かつて「文明国」によって広範に行われた遺骨の盗掘
(ア)なぜ、国の機関が遺骨の管理・慰霊を行うのか
新しいアイヌ民族の施設の重要な役割の一つとして「アイヌの人々の遺骨及びその副葬品の慰霊及び管理
」が含まれている。本稿の主題からは外れるが、ウポポイを語るにあたって避けて通ることはできないので、本稿でごく簡単に触れておく。
なぜ遺骨等の慰霊及び管理を、憲法第20条第3項によって宗教行為が禁止されている(※)国の機関が行うのかについては解説が必要だろう。
※ 憲法第20条の根本目的は、信教の自由の保障の確保である。国立の機関が遺骨を管理すること自体は宗教行為には当たらない。また管理を行うにあたって、併せて慰霊を行ったとしても、信教の自由との関係では相当の範囲であると考えられよう。
従って、憲法第 20 条の問題にはならないと言うべきである。事実、これまでもウポポイにおける遺骨の慰霊について法律学者の間で問題とされたことはなかった。
一言でいえば、ウポポイにおいて管理・慰霊する遺骨は、後述するように、和人が過去に盗掘したものなのである。この遺骨を返還をするにあたって、直ちに返還することが困難なものについて、アイヌ民族の主導で行うこととされたのである。
(イ)遺骨の「発掘」はどのように行われたか
遺骨の盗掘について、政府の文書(※)には「発掘調査」という言葉が使われている。そのため、これを読む国民は、古代の遺跡(墳墓)を発掘したのだろうという印象を受けるかもしれない。
※ 文化庁「博物館等におけるアイヌの人々の遺骨及びその副葬品の保管状況等に関する再調査結果」など
※ イメージ図(©photoAC)
しかし、実際は、埋葬されて間がないものも含めて、現に遺族による祭事の対象となっている墓から盗み出したのである。家族の大切な遺骨を、学術調査の名のもとに盗み出されたアイヌ民族の怒りと悲しみはどれほどだっただろうか(※)。
※ 朝日新聞2023年5月14日「(社説)アイヌの遺骨 帰る場所 奪った罪深さ」など参照。
関連するウポポイの WEB サイト「慰霊施設」では。「それらの中には、発掘・収集時にアイヌの人々の意に関わらず収集されたものも含まれていたと見られています
」と、さすがに盗掘の事実があったことを婉曲にではあるが認めている。しかし、家族や祖先の遺骨の収集を同意するわけもなく、すべてが盗掘だったことは明らかである。
なお、これはアイヌ民族のことだけではない。かつて世界各地で、多くの少数民族が、墓を盗掘されて遺骨を盗まれるという被害を受けている。そして、その目的は学術調査とされているが、ほぼ例外なく、遺族や子孫の許可を得ずに行われており、当時としても犯罪行為だっただろう。
(ウ)遺骨は「物」として散逸していった
盗み出された遺骨は、国内の多くの大学や博物館に「保管」されていた(※1)ばかりでなく、オーストラリアの博物館などにも「寄贈」されていた(※2)。
※1 文部科学省が大学を対象に 2016 年に行った「大学等におけるアイヌの人々の遺骨の保管状況の再調査結果」によると、12 大学に個体ごとに特定できた遺骨が 1,676 体(個人まで特定できた遺骨が 38 体)、その他に個体ごとに特定できなかった遺骨が 382 箱あったとされる。
また、文化庁が博物館等を対象に 2020 年に行った「博物館等におけるアイヌの人々の遺骨及びその副葬品の保管状況等に関する再調査結果」では、17 施設に個体ごとに特定できた遺骨が 133体(個人まで特定できた遺骨はなかった)、個体ごとに特定できなかった遺骨が8箱あったとされる。
※2 朝日新聞2023年4月28日「アイヌ民族遺骨、豪州から返還へ 東京帝大教授らが現地研究者に寄贈」、東京新聞2023年5月14日「持ち去られたアイヌの遺骨が子孫に返還されない 「一刻も早く土に」を阻む背景とは」など参照
また、盗掘された遺骨の中には、売買によって個人が所蔵しているケースや、学校などで模造品と思われて所有されている場合もあろう(※)。
※ 日本経済新聞2019年1月29日「標本の人骨、実は本物 7県18校で発見」など参照。なお、第二次大戦中の占領中の中国で、日本人医師が標本にするために、中国人捕虜を適当な理由を付けて殺害して遺骨を標本にして国内に持ち込むケースがあったとの証言がある。
イ 盗まれた遺骨の返還を求める動き
このような遺骨について、人権意識の高まりの中で少数民族の側が返還の要求を行うようになった。当初は、(恥知らずにも)返還を拒否した大学や博物館の側も、人権意識の高まりに抗し切ることができなくなり、最近では積極的に返還に応じるようになっている(※)。
※ 文部科学省「大学が保管するアイヌ遺骨の返還について」、北海道大学「本学が保管するアイヌ遺骨に関する声明」(2019年11月5日)など参照
ウ ウポポイでの遺骨の保管とその問題点
しかし、樺太や千島で盗まれた遺骨は、すでにロシア領になっているため、本来の地で埋葬することは困難になっている。また、大学等の管理状況が悪く盗まれた場所の特定が困難な場合もある。そこで、これらの返還が困難な遺骨についてウポポイに、一旦、収集して慰霊を行うことにしたのである。なお、ウポポイの敷地に埋葬することについては、アイヌ民族の中でも強い批判があり、埋葬されているわけではない(※)。
※ 東京新聞2023年11月26日「盗ったものは謝って返して」アイヌ民族が求める遺骨返還 「慰霊施設」に集めて移管じゃ浮かばれない」など参照
だが、ウポポイにおける遺骨の管理と慰霊の話は、本稿の本題ではないので、ここまでとしておきたい。最後に、散逸した遺骨を含めて、早急に国が調査を行って本来の場所へ戻すべきであるとだけ述べておく。
(3)ウポポイの基本的な構成と営業状況
ア ウポポイの基本的な構成
ウポポイは、広大な敷地に設置された、国立アイヌ民族博物館、国立民族共生公園及び慰霊施設で構成されている。その中には、アイヌ古式舞踊などが演じられるシアター(※)や、さまざまなアイヌ文化を体感する体験型・参加型のプログラムが行われる場所も準備されている。
※ アイヌ古式舞踊については修学旅行客を優先しており、事前の予約がないと観劇することは難しい。なお、ウポポイへの入館そのものは、現在では事前予約は必要なくなっており、コロナ禍の時期に行っていた入場制限も現在は行っていない。
イ 博物館の展示施設と展示品とのちぐはぐさ
※ イメージ図(©photoAC)
確かに、国立アイヌ民族博物館に展示されている様々なアイヌの民俗の展示品は貴重なものである。また、その展示施設とインテリアや演出の設備にも費用と時間をかけているのだろうと思えるものである。
しかし、筆者には、展示施設とその演出があまりにもあざといと感じられた。主役であるアイヌの民俗の本質を強調するのではなく、展示施設が自らが主役になってしまい、肝心のアイヌの民俗の展示品への閲覧者の関心を後退させているのである。閲覧者のもっとも注意が向けられるべき地位が、肝心のアイヌの民俗ではなく展示施設の方になってしまっているのだ。
ところがその一方で、アイヌの民俗を紹介するにあたって、あまりにも表面的な部分しか伝えていないのである。そのため、閲覧者から見れば、例えば民族衣装はたんなる「素敵な」ファッションとしか思えず、装具類もたんに「きれいなもの」としか思えないつくりになっているのである。
また、アイヌ古式舞踊についても同じように感じた。実演は素晴らしい内容であるにもかかわらず、光線や映像による演出があまりにあざといのである。光や映像による派手な演出のために、アイヌ民族の古式舞踊そのものの素朴な魅力が損なわれているという気がした。
ウ 再現家屋チセのイメージ
※ イメージ図(©photoAC)
さらに、再現されたアイヌのチセ(住居)は、いかにも「作り物」といったイメージを受ける。以前のポロトコタンにあったもの(※)が、当時のチセを忠実に再現しているのとはまったく異なっている。
※ もちろん、現在のアイヌ民族がポロトコタンにあったチセのような家に住んでいたりはしない。しかし、本来のチセの形状は神との契約によって定められている。その神聖さはまったく感じられない。
はっきり言って、のぼりべつクマ牧場のユーカラの里の方が、チセのイメージをつかみやすい。
たんに、近代家屋の壁にアシの葉が張り付けただけなのである。床にいたっては近代家屋の床そのものである。ウポポイでは、再現されたチセを様々なプログラムを行う建物として用いているのでやむを得ない面はあるが、建物は近代的なものとし、チセそのものは忠実に再現するという方法の方が、アイヌ民族が日常生活そのものが神との契約に基づいているということの理解に役立ったのではなかろうか。
なお、再現家屋チセで行われる体験型・参加型のプログラムは、様々なプランが用意されているが筆者は時間がなくて参加はできなかった。
エ これは民族共生のための空間ではなくたんなる観光施設ではないか
ウポポイで過ごしていたとき、若いころに観た映画のワンシーンを思い出した。映画の題名も覚えていないし、うろ覚えだが、こんな内容だった。
アフリカへビジネスでやって来た白人の男性が、都市部での仕事を済ませ、最後の夜に先住民族の伝統的な祭りを見せる施設へ行く。そしてこう言うのだ。
「素晴らしい、これこそが本物のアフリカだ。僕が今まですごした都会は、外国の文明に毒された偽物だった」
すると、アフリカ在住の白人女性が笑いながら答える。
「本物のアフリカは、あなたが仕事をした都会よ。これは観光客向けの、外国人のアフリカのイメージに迎合したショーにすぎないわ」
もちろん、ウポポイで見せているアイヌ民族古来の伝統民俗は偽物ではないし、それを見せることが悪いとは言わない。しかし、なぜ、現在のアイヌ民族がかかえている問題や状況、あるいはアイヌ民族が受けてきた支配の歴史についてのコンテンツがないのだろうか。
ウポポイは、民族共生のための空間ではなく、たんにアイヌの伝統民俗を紹介する観光施設にすぎないのではないだろうか。この点について、朝日新聞(※)によると、荻生田文科相は、ウポポイは差別の歴史を伝えるのではなく、たんにアイヌの文化を知らせるための施設であるという趣旨の発言をしている。
※ 朝日新聞2020年7月10日「アイヌ差別の歴史に持論 萩生田氏「価値観違いあった」」
(4)不調な来場者数と本質を外れた「対策」
ア 低調な来場者数
他都府県や海外から北海道へやってくる観光客が、あえてウポポイ訪問のために白老まで足を延ばすとは思えなかった。また、学校の行事としてやってくる多くの修学旅行生が、大人になってから家族連れで再訪したいと考えるとも思えなかった。
実際に、国土交通省北海道局の資料(※)によると、ウポポイへの訪問者の数は目標に遠く及ばない状況である。
※ 国土交通省北海道局「ウポポイをめぐる現状、課題、施策とご議論いただきたい論点」(2023年5月)
ウポポイへの訪問者は、政府の目標が1年間に100万人なのに対し、2020年度 22.2万人、2021年度 19.0万人、2022年度 36.9万人という状況である。道外客に限っても目標 35 万人に対し、2020 年度 3.2 万人、2021年度 3.5 万人、2022年度 13.1 万人と目標に遠く及ばない。たまたま開業期にコロナ禍が重なったことはあるにせよ(※)、開業直後からこれでは先が思いやられよう。
※ コロナ禍前の 2018 年度を 100 とした同時期の国内の他の博物館の来館者数をみると、東京国立博物館が 2020 年度 17.5、2021 年度 39.1、2022 年度 58.2、広島平和記念資料館が 2020 年度21.6、2021 年度 26.7、2022 年度 74.0 などとなっている。2022 年度の他の博物館の訪問者数と比較する限りでは、ウポポイへの訪問者数が目標に達していない理由は、コロナ禍の影響だけとはいえないのである。
しかも、北海道新聞(※)によれば、新型コロナが5類になった後の 2023 年度の来場者は 33.3 万人と、来場者数はかえって前年より減少しているという。
※ 北海道新聞2024年4月16日「ウポポイ来場、初の減少 23年度33万人 道内客、修学旅行低調 政府目標「年間100万人」遠く」
さらに付け加えれば、来館する前からアイヌ民族の伝統文化について関心を持っていればともかくとして(※)、ウポポイの展示物や古式舞踊のショーを見て、それをきっかけにアイヌ文化に関心を持つようになるとは思えないのである。
※ 残念なことではあるが、客観的に見て道外の一般の観光客がアイヌの民族についてそれほど強い関心を持っているとは思えない。
イ 本質を外れた来場者増加策
(ア)国の来場者増加策
ところが、来館者数を増やすための対策についての政府の考え方が、あまりにも見当はずれなのである。国土交通省北海道局の「ウポポイ誘客促進戦略」には、来場者数が増えない理由として「アイヌ文化やウポポイを知らない人、関心を持っていない人を惹きつけるコンテンツ、アイヌの世界観やその本質的な価値を体験できるコンテンツなど、魅力的なコンテンツが少ない
」「来場者が、アイヌ文化に興味を持っている人に固定化している
」などが挙げられている。
そして、それへの対応策として「人気マンガやVR等を活用したコンテンツ・イベント等の企画・実施
」「体験型コンテンツ、季節限定イベントの充実
」「ポロトの森を活用したアドベンチャー・ツアーの造成について白老町と検討
」などが挙げられている。
すなわち、アイヌの民俗とは直接は関係のないコンテンツを充実することによって、訪問客を増やそうとしているのである。
(イ)国の来場者増加策への疑問
確かに、アイヌの民俗に関心のない層に対して、アイヌ民族以外の魅力あるコンテンツを作り、それを目的としてやってくる来場者に対して、その機会にアイヌの民俗を知ってもらおうという考え方それ自体は間違いではないかもしれない。
しかし、今の日本、さらには北海道には、アイヌ民俗以外の観点からつくられた魅力的な施設や、あるいは魅力的な自然は多いのである。それらと競合して勝とうという発想をしても、はっきり言って勝ち目はないだろう。
しかも、それを目当てにやってきた来場客がアイヌの民俗に関心を持ってくれればよいが、そうするためには本来のコンテンツをより魅力あるものにしなければならない。それなしには、逆にアイヌとは関係のないコンテンツに、訪問者の関心が向いてしまうことも考えられるのである。
ウ 原点に立ち返るべきではないのか
そもそも、ウポポイの最大の目的は、「来場者にアイヌの衣食住、舞踊、工芸等を体験してもらうことを通じて、アイヌの歴史や文化の魅力について国民の理解を深めること
」のはずである。なぜ、アイヌの歴史とを理解できる、感動的な体験や、深く考えさせることができるコンテンツを豊富に備えた施設を目指さないのだろうか。
この種の施設は、施設が開業した直後は、開業までの宣伝と物珍しさも手伝って来場数が伸びるものの、やがて衰退するというケースも多い(※)。一方、福井県立恐竜博物館は、決して近くに人口密集地があるわけではないにもかかわらず、そこにしかない特徴と、人々を引き付ける豊富な魅力のあるコンテンツで成功している。
※ 例えば、なにわの海の時空館(2012年度末閉館)や旧ユネスコ村の恐竜博物館(2006年営業休止)、大阪市の交通科学博物館(2006年閉館)などがその典型である。これらの施設は、あまりにも魅力あるコンテンツが乏しすぎ、あえてそこまで行ってみようという気にならない施設と言うべきであろう。
困難ではあっても、ウポポイの本来の目的であるアイヌの民俗を前面に押し出す以外に、競合施設に対して勝つことは困難であろう。あくまでもアイヌ民族や民族の歴史を前面に押し出した、話題を呼び、感動を与えることができ、かつ深く考えさせるコンテンツを考えていかないと、結局は衰退するだけだろう。
2 差別の問題や支配・収奪と植民の歴史が全く語られない
(1)きれいごとだけの展示で民族共生が実現するのか
ア 差別と支配の歴史が語られない民族共生象徴空間でよいのか
(ア)差別と支配の歴史が語られない
※ イメージ図(©photoAC)
だが、筆者がウポポイで感じた違和感は、そのようなことよりも差別や和人による植民政策、言葉を換えれば支配と収奪の歴史について全く記述がないことである(※)。さらに、アイヌの側の解放のための闘いについての記述も全くないのだ。札幌市内やその近郊にあるアイヌに関する展示施設の中でも、これはかなり特異なことと言ってよい。
※ このような違和感を受ける訪問者がいることについては、是澤櫻子他「ウポポイと報道」(境界研究 No.12 2022年)でも報告されている。
安田峰俊氏(※)によると、「国立アイヌ民族博物館の展示方針については『差別などの暗い部分をピンポイントで取り上げないでほしい』という要望が、展示検討委員会から出されていた
」という。
※ 文春オンライン2020年10月13日「安倍政権最大の功績は“アイヌ博物館”だった? 200億円をブチ込んだ「ウポポイ」の虚実」
安田氏によれば、「「北海道旧土人保護法」や、アイヌ児童向けに設けられた「旧土人学校」などについては、私が見た範囲では言及が非常に薄い
」とされている。筆者はこの2つについてかなり時間をかけて探したが、探し方が悪いのかそもそも存在していないのか、まったく見つけることはできなかった。
当然のことながら、それらがアイヌ民族にどのような効果をもたらしたのか、どのように差別を固定化する役割を果たしたのかについての記述もない。
(イ)なぜ差別が語られないのか
① 故安倍総理の政府批判派への排除
差別を取り上げない最大の理由は、やはり開業当時の安倍政権の性格によるところが大きいであろう(※)。故安倍氏は、南京大虐殺がなかった、旧日本軍国主義はアジアの国ぐにを植民地支配から解放したなどと主張するほど、戦前の日本軍国主義の賛美者であることはよく知られている。
安倍氏は、歴史を客観的に見て、日本の負の歴史に向き合うということができないのだ。安倍氏にとって日本は「武士道精神に基づく素晴らしい国」なのである。
さらに、安倍氏自身は、自らを差別者だなどとは思っていないだろうが、自分とは考えの異なる人々の意見を聞く能力が全くないのである。そのため、竹中平蔵氏のような自らの利益を国益に優先させる人物の言を信じてしまう。そればかりか自らの考えに沿う人物であれば、杉田水脈氏や小川榮太郎氏氏のようなレベルの低い人物をブレーンとして集めてしまうのである。
このことは、政治家としての安倍氏自身にとってもかなり危険なことであったが、我が国にも大きな実害をもたらした。
② 故安倍総理のもたらした害悪
安倍政権が長く続き、かつては公式の場で口にすることができなかったようなことが、堂々と語られるようになっている。安倍氏の支持者が、政府を批判する人々を「反日」として批判するようになり、人権派や反戦主義者、さらにはたんなる良識派まで「反日」として批判する風潮が生まれてしまったのである。
近年、ネットの世界では、人権を守る観点から社会的マイノリティについて語ると、いわゆるネトウヨなどの極右勢力(安倍元総理の支持勢力と重なるだろうか)から誹謗中傷を受けることがある(※)。
※ これらの批判は、事実に基づかないものがほとんどで、学術的な世界では相手にされないようなものがほとんどである。
そして、とりわけ、日本人や日本政府が過去に行った行為を批判すると、誹謗中傷を受ける傾向が強くなる。これは、在日朝鮮・韓国人と沖縄県民が攻撃の対象になる例が多いが、アイヌ民族についても例外ではない。
このような雰囲気が醸成される中で、「民族共生」を標榜するウポポイにおいても、過去の負の歴史に向き合うことはなくなってしまったのだ。これでは、本音での民族共生はあり得ないだろう。
(2)負の歴史に向き合わないまま民族共生が可能なのか
歴史とは過ぎ去った時代の出来事である。従って、真実はひとつだけのはずであるが、実際にはそれを著すものの考え方によって左右される。同じことであっても、さまざまな解釈はあり得るし、その立場によって見える風景は異なるのである。
だが、歴史を学び、真摯に評価・分析をし、その反省に立たない限り、必ず歴史は是正されることはなく、何度でも繰り返されるのである。
和人とアイヌの間には、明治以降の近代になっても、厳として差別は存在していた。そして、それは多くの人々を傷つけてきた。その事実に真摯に向かい合わずに民族共生を図ろうとしても、結局は表面的な「共生」に終わるだけではないのか。
まず、何よりも、[旧] 北海道旧土人保護法、人類館事件(※)などのアイヌへの差別とその影響についての分析・評価・展示を行い、来館者がその意味を考ることができるようにするべきである。また、シャクシャインの反乱とそれへの弾圧など、解放・抵抗の活動とそれへの弾圧の歴史の解説もするべきであろう。
※ 東京新聞2023年12月17日「万博が抱える黒歴史「人間動物園」…120年前の大阪で起きた「事件」と2025年大阪万博の相似形とは」
負の歴史に向き合うこと、そしてその意味を来館者に考えさせること、それなくして民族の共生などあり得ないと考えるべきである。
(3)必要なのはアイヌ民族との本心での触れ合いではないのか
北海道にも、ウポポイに行くまでもなく、アイヌの民俗について学べる関連施設は数多い。札幌近郊でも北海道博物館や札幌市アイヌ文化交流センターの方が、アイヌ民族の伝統文化のみならずアイヌ民族への差別の歴史が学べる。また、アイヌ関連の資料が展示されている施設としては、アイヌばかりか北方民族全体について、北海道大学植物園 北方民族資料室にも十分な資料がある。さらに、北海道大学総合博物館では、アイヌの神謡のレコード記録など貴重な資料を見ることができる。
※ イメージ図(©photoAC)
また、観光を前面に押し出したものとしては、「阿寒湖アイヌコタン」や先述したのぼりべつクマ牧場のユーカラの里もある。
もちろん、学術的な博物館だからアイヌ民族への高い理解が得られるとか、観光施設だからそうではないなどとは、一概には言えない。大切なことは、目的が学術か観光かよりも、今を生きている人々との触れ合いが得られるかどうかではないだろうか。人と人との、なにげない話し合いの中から、お互いの理解は深まるのだ。
ウポポイが「民族共生空間」を目指すのであれば、何よりも和人とアイヌの触れ合いが可能な場を目指すべきである。差別があったことを前提に、お互いが触れ合い、話し合える場があってこその民族共生空間ではないのか。
沖縄では、沖縄戦の悲惨さを伝える施設・モニュメントが数多い。一方、沖縄の文化を観光という観点から他府県の観光客にアピールする施設もある。それらの中で最も訪問者の記憶に残るのは、沖縄戦の体験者の方のお話やエイサーを演じる若者との触れ合いなのである。
筆者が、最初にひめゆりの塔を訪れたとき、まだ十代の高校生だった。献花台の前でピースサインをしながら笑って仲間と記念撮影をしたものである。しかし、その後で、戦争体験者のお話を聞き、また戦争体験者の話が書かれた文書を読んで、魂が揺さぶられたことを今でも覚えている。子供が大きくなったらもう一度、あの場所を訪ねて子供にも見せたいと今でも強く思っている。
現実には、来場者である和人と、ウポポイの職員のアイヌ民族との触れ合いを目指せば、アイヌ民族の心を傷つけるようなことを言う和人の若者がいることは十分に予想できる。また、現場では差別的な言動が行われなくても、SNS で匿名での差別投稿が頻発するおそれがあることも否定はできない。
そのためのウポポイ職員への心のケアは重要であるし、そのような差別が行われないための啓もう活動も必要である。
だが、「民族共生空間」を目指す限りそれは避けて通れないものである。アイヌ民族の理解者の和人と触れ合うだけではなく、アイヌ民族への差別者とも触れ合って彼らの意識を変えていかない限り「民族共生」は実現しない。
3 最後に
(1)違いを知ることは大切だが、大切なことはその先にある
日本が、これからも持続的な発展を続けてゆくためには、多様な背景を持つ人々が十分にその能力を発揮できるようにすることが何よりも必要である。
そのためには、自分たちとは異なる文化・伝統・考え方の人々との共生が何よりも大切である。民族共生はとても大切なことだと筆者も思う。だが、今のウポポイの施設や方針には何かが欠けているように思う。
筆者は会社の研修で「外国人との付き合い方」についての研修に出たことがある。そのときの講師は、外国人に対して「レッテル貼り」を行い、そのレッテルを貼った人々とどううまく付き合うべきかを話していた。このようなことでは永遠に外国人との共生など進まないだろう。
外国人との違いを知ることは大切だが、それはレッテル貼りであってはならない。大切なことは、違いを尊重することなのだ。
(2)真の民族共生のために
実を言えば、筆者はウポポイを訪問したとき、職員の方からウポポイに対する様々な思いを聞かせていただく機会にめぐまれた。その職員の方は、アイヌへの差別は現にあるし、ウポポイでも職員の方に対する差別的な言動もあるし、きれいごとだけの施設に違和感を持つ若い職員の方もおられると話しておられた。
だが、それはその職員個人のお考えをたまたまお話しいただいただけで、公的な場で話されたことではなかった。しかし、そのようなお話がウポポイの公的な場で、ウポポイの管理者への気兼ねなく話せるようになってこそ、民族共生に一歩近づけるのではないかと思う。
たんにアイヌの民俗や言葉を知ることが悪いとは言わない。また、それらを体験することもよいことである。しかし、それだけなら来館者はすぐに忘れてしまい、日常の中でその体験に基づいて何かをしようとまでは思わないだろう。
確かにアイヌの民俗や文化は素晴らしい。しかし、和人の民俗や文化にも素晴らしいものはある。それは、ドイツやフランス、そしてアボリジニやエスキモー、ネイティブアメリカン、さらにはパレスチナにおいても同様なのである。
だが、それをお互いに知るだけでは真の民族共生は進まない。真の民族共生のためには、過去の歴史を正しく知ること、相手が何を思っており自分たちとの考えの違いを知ること、そしてお互いに話し合いさらには個人的な友好関係を築いてゆくこと。それこそが民族共生への道であろう。
今のウポポイにはそれが欠けているような気がしてならない。
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