最近の炎上事例と人権


最近の炎上事件には、保守政治家、学者、企業などに、深刻な人権意識の欠如がみられるものがあるようです。

というより、我が国の社会構造の中に、何か深刻な問題が潜在化しているのではないかと思われる事例が、多数発生しています。

いくつかの例を挙げ、その問題点を解説します。




1 最初に

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筆者:柳川

WEBを利用する場合、注意しなければならないこととして、"炎上"に注意することがある。そのため、他山の石とすべく、最近の"炎上"事件の特徴などを調べてみたのだが、最近の炎上事件の中には、炎上した保守政治家、学者、企業などの中に、深刻な人権意識の欠如がみられることに気付いた。というより、我が国の社会構造の中に、何か深刻な問題が潜在化しているのではないかと思われる事例が、多数発生しているのだ。

以下に、最近の炎上事件のうち、象徴的なものをいくつか例に挙げ、これについて思うことをまとめてみた。


2 最近の"炎上"事例

各表題部をクリックすると本文が読めます。

某国会議員のキャバクラ発言

自民党の赤枝恒雄衆院議員(当時)が、「進学しても女の子はキャバクラに行く」と発言して炎上しました。この発言の問題点を解説します。

"貧困女子高生炎上"でみせた片山さつき議員の冷たさ

片山さつき議員が、NHKで自らの貧困について発言した高校生をネットで吊るしあげるという行為をして炎上しています。

自民党の議員が配車拒否のタクシー会社に冷酷な報復

秋本真利衆院議員が、タクシーの乗車拒否を受けたとして地方都市のタクシー会社の従業員に対して冷酷な行動をとっています。

某大学教授が過労自殺問題で"情けない"と発言

長谷川秀夫教授が、過労自殺した方に対して「100時間程度の残業で過労死するとは情けない」とツイートして炎上しています。

某地方自治体が「女性差別」動画を配信

志布志市が、ふるさと納税のPRのために配信した動画が、女性差別であるとしてネット上で批判を浴びました。これは国際的にもフランスのAFP通信、英国のガーディアンやBBCも批判的に取り上げています。


3 最近の"炎上"問題について考える


(1)権力者が、"正義"の名の下に弱者を攻撃する状況

ア 権力者の意識が歪み始めている

何故なにゆえ、兄弟の眼にあるちりを見て己が眼のうつはりを認めぬか。なんじら人を裁くな。裁かれざらん為なり。汝の裁く裁きにて汝もまた裁かれ、汝のはかはかりにて汝もまた量られん。

ここまでに挙げた"炎上"の例は、いずれも、国会議員、大学教授、地方自治体という、社会の指導的な立場にある方がたが、社会的な弱者を攻撃したり、揶揄したり、果ては未成年者を性の対象とした動画を公表したりしたという事例である。残念ながら、かつての保守層の中にあった、弱者へのいたわりや社会的不公正への怒りが、民主主義国家となった現在の保守層から失われているような気がしてならない。

イ 正義の名のもとに弱者を攻撃する権力者

最後の地方自治体の例は別として、いずれも"正義"の名の下に、社会的な強者が、社会的弱者を攻撃又は揶揄の対象としておられるのだ。かつて孔子は、弟子から「なぜ世の中から争いがなくならないのでしょうか」と訊かれて、「それは正しい人が多いからだ」と答えたといわれる。どうやら、最近の日本のトップ層にも正しい人が多いらしい。

政治家や学者が身分を賭して、権力を持つ者に対抗するなら、浜田国松のハラキリ問答や、新名丈夫の竹槍事件のように、歴史に名を遺すようになるかもしれない。だがまあ、保守層の政治家や学者にも生活があるのだからそこまで期待するのは酷なのかもしれない。しかし、政治家や学者が、市井の一女子高生、地方都市の中小のタクシー会社の社員、民間企業の新入社員を攻撃したり揶揄したりするというのは如何なものであろうか。

ウ 貧富の格差が拡大する中で、権力者が歪めば・・・

今、我が国では、急速に貧富の格差が拡大している。その中で、政治家や学者が、こうも社会の底辺の人びとの実情に対する知識に欠け、また冷徹・冷酷になっており、さらには正義の名の下に様々な攻撃を加えている。

だが、社会を動かしてゆくべき地位にある方々が、社会の底辺の人びとのことを考える意思と能力をなくしてゆけば、社会・政治の安定は失われることになるのだろう。底辺の人びとの怨嗟の声が高まれば、そのような怨嗟の声を養分にして成長するのは、極左勢力かファシストである。そうでなければ日本版の"トランプ"が出てくることになるだろう。


(2)国家が、民衆を抑圧した歴史に学べ

ア 国民の中に不満が醸成されれば、何が起きるか

かつて、515事件や226事件のとき、若い軍人たちが政府の重鎮を殺害するという、悪質かつ重大な犯罪行為を行ったにも拘わらず、少なくない国民がこれに喝采した。むしろ被害者である高橋是清の家族が、世間から冷たい目で見られて街を歩くこともできにくくなったという。これも社会の底辺で生きる国民の生活が疲弊していたためである。そのような社会の在り方が、このような犯罪行為を生み出したのである。

よくヒトラーがいなければ、第3帝国はなく、第3帝国がなければ第二次大戦はなかったなどという説を見かけることがあるが、これは間違いだ。養分(底辺の人々の怨嗟の声)があるから木が育つのだ。ナチ党という苗木がなければ他の苗木が育っただけであろう。木(ナチや中東の"国")が問題なのではなく、養分(底辺の人びとの怨嗟の声)のある土壌、土壌に養分を与える人たち(底辺の人びとのことを理解しない為政者)こそが問題なのである。

イ 民衆氾濫の指導者はどこにでもいる

人間の社会には、苗木はどこにでも、いつでも存在しているのだ。養分があれば、そのどれかが育つのである。

中国の歴史においては、大規模な民衆反乱が数多く発生している。これらの反乱を率いた指導者を思いつくままに挙げれば、秦帝国を滅ぼす原因を作った陳勝と呉広、赤眉軍を率いた樊崇、黄巾の乱を率いた張角、五斗米道を率いた張魯、大乗経の乱を率いた法慶、隋末の群雄の一人である竇建徳、宋末期の反乱を率いた方臘と宋江、太平天国を率いた洪秀全、中国共産党を率いた毛沢東と董必武など、枚挙にいとまがない。

彼らはいずれも乱世の梟雄であり、傑出した人物である。ただ、これらの反乱は、彼らがいたから起きたわけではない。むしろ彼らのような優れた資質を持った梟雄、英雄はどこにでも、またいつでもいたのである。彼らが歴史の舞台に出現したのは、まさに政府の腐敗と民衆の怨嗟の声によってであった。

彼らはどこにでもある苗木であり、土壌に十分な養分が注がれたために、たまたま巨木に育っただけなのである。これらの反乱は、五斗米道や中国共産党を除けばいずれも敗北というべき結果となった。しかし、彼らが戦った相手の国家は、いずれもその後、短期間で崩壊するのである。


(3)最後に

近年の国際社会における深刻な課題であるテロ対策にしても、市民を巻き込むような爆撃(木を倒すこと)には、さしたる効果はない。底辺の人びとの怨嗟の声(土壌)がある限り、別な木が生えてくるだけである。時間はかかっても、底辺の人びとの生活改善と、彼らが将来設計を描き、将来に夢が見られるような社会を作ることの方がはるかに効果的なのである。

かつて、中東の犯罪者の集団ともいうべき"国"に、世界中から若者が支援に駆け付けたのも、結局は、為政者がそのような背景・土壌を作り出したところにも問題があるのだ。これらの若者たちは、もしその"国"がなければ、別な組織を支援しただろう。

本稿に挙げたインターネットの"炎上"は、そこまで大きなことではないかもしれないが、社会の指導的な立場にある方がたの、社会的な弱者への無理解や無関心、さらには攻撃の実態をみていると、いずれ彼らが最も望まない結果、極左やファシストが勢力を持つようになるだろうと思えてならないのである。

保守層の富める方々は、そのときになって後悔しないことである。