- 1 はじめに
- (1)沖縄県民投票の経緯
- (2)全県投票となったことを評価する
- 2 「どちらとも言えない」って何?
- (1)県民の意識の多様性
- (2)"どちらでもない"って何だろう?
- (3)結局、"容認"とされるおそれがある
- (4)3択の実現には、公明党が動いている
- 3 最後に、「どちらでもない」へ投票しないことを訴える
- (1)「どちらでもない」は、政府への白紙委任ととられる
- (2)そもそも辺野古に基地を造ることが無理
1 はじめに
執筆日時:
筆者:柳川
(1)沖縄県民投票の経緯
ア 県民投票を一部市町村が実施しないと決議
沖縄で、92,848筆の署名を受けて、普天間基地の辺野古移設の賛否を問う県民投票の条例が成立したのは昨2018年10月24日である。
ところが、その後、県民投票を市町村レベルで否決する方法等を解説した文書が、保守系の宮崎政久衆議院議員によって作成され、保守系議員を対象にした勉強会で配布されるという事態となった(※)。
※ 沖縄タイムス2019年1月13日記事「自民系衆院議員の作成資料に県民投票「否決」への道筋 勉強会で配布」による。
そして、その文書に記された通りのやりかたで、県民投票の関連予算が、沖縄、うるま、宜野湾、宮古島、石垣、与那国の6市町議会で否決され、これらの市町の首長が県民投票の事務を実施しないと決定したのである。
イ 県民投票全県実施を求めて自民党へ批判が集中
当初の条例では、県民投票は「賛成」「反対」の2択で行うこととされていた。実施しないとした市町の首長は、2択では多様な県民の意思が反映されないことを理由の一つに挙げたのである。
実を言えば、当初の県民投票条例の議決時に、自民・公明両党が「やむを得ない」と「どちらとも言えない」を加えた4択にする修正案を提出して、否決されたという経緯があった。
すなわち、県民投票を実施しないとする首長の言い分は、全県での実施を人質にして、自民党・公明党の主張をゴリ押しする形になっていたのである。
このような動きに対して、沖縄県内外から批判が沸き起こった。沖縄県内では、宜野湾市庁舎前で県民がハンガーストライキを行うという事態にまで至った。さらに、ハンガーストライキをしている県民に対して比例九州の国場議員の政策秘書が「サッサと死ね」とツイートし、火に油を注ぐ結果となった(※)のである。
※ 国場議員は、さすがにまずいと思ったのか後に謝罪している。
また、県外でも、憲法学者の木村草太氏は「県民投票不参加は憲法違反」であると指摘(※)し、朝日新聞は社説で「沖縄県民投票 等しく参加の機会を」と訴えた。
※ 沖縄タイムス2019年1月10日の木村氏の寄稿による。
ウ 3択形式で、県民投票を全県で実施
結局、県議会の会派代表者会議で、新里議長が反対派首長を説得するために「賛成」「反対」「どちらでもない」の3択とする条例改正案を説明し、与党会派と公明、維新がこれに賛成した。ところが、自民党は新たに「やむをえない」「反対」「どちらとも言えない」の新たな3択案を提示して抵抗したが、他派が受け入れず、最終的に自民党も議長提案の3択案に同意した(※)。これにより、全県での県民投票実施が図られることとなったのである。
※ 自民党の一部は条例改正案に反対投票しているので、全会一致ではない。
自民党の側が譲歩したのは、2018年末に国政レベルで与党側が大きな批判を受ける問題が発生し、しかも辺野古への土砂搬入の強硬策が国内での大きな批判を浴びている状況下で、さらに全県での県民投票を妨害したという形は避けたいという事情もあったのだろう。
(2)全県投票となったことを評価する
いずれにせよ、国内の世論や報道機関の論調は、この全県実施へ向けた動きを好意的にみているようだ。確かに、お互いの歩み寄りによって全県での投票となったことそれ自体は、評価されるべきであろう。
沖縄県民全体としての辺野古基地についての意思表示が行われれば、それに基づいた政府の方針の変更もあり得るべきと考えるからだ。また、確かに「賛成」「反対」の2択だけでは多様な県民の意識を反映できないという、自民党側の主張も理解できないわけではない。
2 「どちらとも言えない」って何?
(1)県民の意識の多様性
繰り返すが、基地に対する沖縄県民の意識は多様であり、「賛成」「反対」の2択では表現できないという県政野党(自民、公明)の主張は、分からないでもない。
現に基地は沖縄に存在しているのである。そして、戦闘基地といえども一定の経済活動はしており、また軍人たちも地元との関係を構築しているのだ。そのような状況になることを県民が望んだわけではないにせよ、それがあることを前提とした経済活動などが営まれていることもまた事実であり、そこでは基地に対する県民の意識も多様なものとならざるを得ないのである。
戦闘部隊としての基地は、なければないに越したことはないが、急になくなるのは困ると考えている県民もいるだろう。また、もう何年も前になるが、テレビのニュースで辺野古基地についてインタビューを受けた地元の若い女性が「基地を作ってください、子供たちの働く場所をください」と叫んでいたのを、今でも覚えている。
もちろん、本土の側からは、誰も彼ら、彼女らを批判することはできない。基地を沖縄に作ったのは、県民の意思ではないのだ。
その一方で、米軍基地の存在は必要だとは考えるが、自分の家の近くにあるのはやはり嫌だと思う県民もいるかもしれない。もちろん、それはそれでひとつの意思ではあろう。
このような複雑な思いを「賛成」か「反対」かのどちらかで表せと言われれば、ストレスを受けるという県民もいるだろう。
また、一口に沖縄県と言ってもかなり広いのである。辺野古から先島諸島(宮古、八重山)までは東京から四国、九州くらいまでの距離があるのだ。自分としては「賛成」でも「反対」でもないが、地元住民の考え方で決めればよいと考える県民が居たとしても不思議ではないだろう。
(2)"どちらでもない"って何だろう?
だが、「嫌だけど現状ではないと困る」という県民は「賛成」に投票するのではなかろうか。また、仮に「米軍基地も国土防衛の観点から必要だが、自分の家の近くにあるのは嫌だ」と思う県民が辺野古の近くに住んでいたとすれば「反対」に投票するだろう。
理由は単純ではないし、また、簡単に「賛成」とか「反対」という単純な言葉で表せるものではないにしても、結論が「あって欲しい」なら「賛成」、「なくなってほしい、辺野古の自然を守りたい」なら「反対」に投票するだろう。
そして、「賛成」でも「反対」でもない県民は投票に行かないのではないだろうか。あえて、どちらでもないという意思表示をする積極的な意味があるとも思えない。
では、いったい誰がなんのために、わざわざ投票所まで出向いて「どちらでもない」という意思表示をするのだろうか。まず、ここが問題なのである。
(3)結局、"容認"とされるおそれがある
それは、選挙が終わって、「賛成」「反対」ともに過半数を取れず「どちらでもない」を合わせると過半数になったとしよう。そのとき国政の政権与党はどのように説明するだろうか。それを考えれば、先ほどの疑問は解けるだろう。
【予想される自民党の説明】
★ "賛成"と"どちらでもない"で過半数になった場合
"どちらでもない"に投票された方は、とくに現状=辺野古に土砂が投入され、工事が進んでいる現状=に不都合を感じておられないのであろう。すなわち"どちらでもない"に投票された方は現在の状況を"容認"しているのである。従って、"賛成"と"どちらでもない"を合わせると過半数になるのだから、県民の過半数は辺野古の基地移転の現状を認めているのだ。
すなわち、“どちらでもない”に投票すれば、どちらでもよいのだから、現状でよいのだろうと言われることは眼に見えているのである。
(4)3択の実現には、公明党が動いている
先ほども述べたが、自民党は「やむをえない」「反対」「どちらとも言えない」の3択案を提示していた。これなら、「賛成」には投票したくなくても「やむをえない」になら投票しやすい県民がいることを期待した姑息な考え方である。
一方、朝日新聞1月24日の記事によれば「公明が打開案として、2択から3択にすることを新里(県議会=引用者注)議長に提案した」とあるのだ。この記事には、提案された3択案がどのようなものだったのかは記されていない。だが「やむをえない」を加えることについての議長の説明に公明党は賛成したのだから、公明党発案だった可能性はあろう(※)。
※ 2019年1月19日の朝日新聞デジタル「辺野古県民投票、3択で調整 『やむを得ない」追加案』によれば、「選択肢は現在の『賛成』『反対』から、『容認』『反対』『やむを得ない』にする案を軸に模索する」とされている。これでは、自民党の提案よりもさらに自民党に都合の良い選択肢となっている。
だが、県民投票に反対していた公明党が「どちらでもない」を加えることを画策して賛成に回ったのは、全県実施を妨害したという批判を受けたくないという事情があるにせよ、いかにも奇妙である。先述したように、一般の県民の立場に立ってみれば、わざわざ投票場に出かけてまで「どちらでもない」と意思表示する積極的な意味があるとも思えないのである。
にもかかわらず、公明党がこれを推進したのは、“どちらでもない”について一定の得票を得ることができるという自信があるからではなかろうか。すなわち、公明党本部は辺野古移転推進であるが、沖縄の公明党支持者の中には、基地反対の考え方を持たれる方も多いのである。この人たちに"反対"から"どちらでもない"に投票先を変えてもらうことができるという考えがあったからではなかろうか。
確かに“反対”を“賛成”に変えることは簡単ではない。しかし、“どちらでもない”へ変更を求めることは比較的容易であろう。そして、選挙が終わればそれを“現状容認派”だとしてしまえばよいのである。
3 最後に、「どちらでもない」へ投票しないことを訴える
(1)「どちらでもない」は、政府への白紙委任ととられる
私自身は、沖縄県が県民投票を3択にすることにより、全県での実施が可能となるようにしたことに敬意を表する。それは必要な妥協であったと考える。
しかしながら、「どちらでもよい」という言葉には、政府への白紙委任というニュアンスがあると考える。少なくとも、安倍総理はそう主張するだろう。
沖縄県の公明党支持者を含むすべての県民の方に訴えたい。繰り返しになるが、「どちらでもない」なら、工事が進む現状について「問題を感じていない」という意味に曲解されるリスクがあるのである。
【沖縄県民に訴える】
- もし、あなたが辺野古移転を容認していないのであれば、「どちらでもない」には投票しないでください。
- ご自身としてはいずれでもよいが県民の多数派の意見に従うべきだと思われるなら、「反対」に投票してください。なぜなら県民の意思が「反対」であることは、知事選で明らかだからです。
(2)そもそも辺野古に基地を造ることが無理
辺野古の地盤はマヨネーズ並みといわれてきた。1月30日になってようやく安倍総理はそのことを公式に認めた。琉球新報1月22日付記事によると、「岩屋毅防衛相は昨年末のインタビューで『今の段階で工期や総予算を申し上げることはできない』と述べ」たとされる。
冗談ではない。予算というのは国民の血税なのである。実際に土砂を投入し始めた今頃になって、総予算が分からないというなど、無責任の極みであろう。これまで、国民を欺罔していたとしかいいようがない。
沖縄タイムス1月31日記事によれば、「これまで防衛省は、海を埋め立て滑走路など新基地を建設する費用を『3500億円以上』としてきた。県は軟弱地盤の存在などから工事に13年、予算は約2兆5千億円と試算している」としている。沖縄県の主張が正しいとすればとんでもない話だというべきである。
2018年12月15日の朝日新聞記事によると、同防衛相は、辺野古移設について「日米同盟のためではない。日本国民のためです」と述べたとされる。いいだろう。日本国民のためというなら、辺野古などへ移転するのではなく、天皇ご一族に京都の二条城へお移り頂き、普天間は江戸城跡地にでも移転しては如何であろうか。
安倍総理、岩屋大臣、ぜひそうされて、日本を守ってくださるヘリの爆音をお聞きになりながら、お仕事をなさってみてください。