加藤鮎子こども相が、野党の基本的な質問に対して、官僚が作った答弁書すらまともに読めないことで批判を浴びています。自分の職務に対する基本的な知識がないばかりか、自身の考えや思想もないことから、このような失態となっているとして批判の対象となっているのです。
自民・公明政権において、答弁書さえ満足に読めない大臣としては、これまでも北村誠吾地方創生相、堀内詔子ワクチン相(いずれも当時)など、枚挙にいとまがありません。これらの大臣、個人がどうのこうのではなく、日本の国家戦略の中枢を担うべき地位にあるこれらの人々が、専門知識がないばかりか基本的な知識や能力さえないことが許されるシステムは、日本国とその国民にとって大きな損失だと言わざるを得ません。
諸外国の民主国家では、政府の高官には、豊富な知識を有し、高い能力を持った人物が就任することが当然のことです。専門知識のない人間が政府高官のポストに就くことは、一部の独裁国家を除けばあり得ないことです。そもそも国会の論戦で、政治家の答弁を官僚が書くなどということは、国際レベルでは演劇か漫画のレベルのことです。
このような国際社会において、官僚の書いた答弁書に頼らなければ、自分の職務の基本的な部分についての意見も言えない連中が政府高官のポストについていたのでは、外交リスクになると言うべきです。このようなシステムを放置することは日本の没落の原因となるでしょう。
- 1 加藤鮎子こども相の無能ぶりが批判を浴びている
- (1)加藤鮎子こども相の国会答弁のあまりのひどさに批判
- (2)加藤鮎子こども相のカネについての暗いうわさ
- (3)秘書に対するパワハラ
- 2 能力・知識がない人物の大臣就任は国家のリスク
- 3 なぜ日本では無能な大臣が就任するのか
- 4 我々はどうするべきなのか
1 加藤鮎子こども相の無能ぶりが批判を浴びている
執筆日時:
筆者:平児
(1)加藤鮎子こども相の国会答弁のあまりのひどさに批判
加藤鮎子こども相(本名は角田:加藤は旧姓)の国会答弁のあまりのひどさが批判を浴びている(※)。加藤大臣の正式な役職は「内閣府特命担当大臣(こども政策、少子化対策、若者活躍、男女共同参画)、女性活躍担当、共生社会担当、孤独・孤立対策担当」というものだ。すなわち、日本政府において、こども政策、少子化対策、若者活躍、男女共同参画などの推進を指揮するリーダーとしての役割を果たすべき職務なのである。
※ FLASH 2024年3月6日「「ポンコツすぎる」加藤鮎子こども相「異次元の少子化対策」めぐり野党があきれる“しどろもどろ答弁”に批判殺到」など。
ところが、立憲民主党の石橋通宏議員の「担当大臣として、未婚率の増加の原因はなんだと考えているか」という問いに対して、まず無関係なことを答え、次に本来の答弁書を探し始めたのだ。
本来、こども政策、少子化対策を専門とする職務に付いているのであれば、こんなことは官僚の答弁書に頼らなくても、待ってましたと自説を開陳するのが当然である。そんなことも自ら答えようとしないのでは、こども相が勤まるわけがない。
加藤大臣の実父は、元内閣官房長官・元自民党幹事長の加藤紘一氏という自民党の派閥の領袖である。いわゆる2世議員だ。もちろん、父親が誰であろうと、本人の考え方が国民の方を向いており、かつそのポストにふさわしい能力があるのなら問題はない。
しかし、これでは、こども政策、少子化対策の能力があるからではなく、有力者の子供だから能力もなければ職務への熱意もないのに、その職に就いたとしか思えないのである。そもそも国民の目から見れば、こども大臣など設けてみたところで、少子化対策が前に進むなどとは誰も考えていないのである。それをあえて、こども相などという担当大臣のポストを作るのであれば、それなりに国民が納得できる政策を示すべきであろう。それがまったくできていないのである。
(2)加藤鮎子こども相のカネについての暗いうわさ
かつて、古代中国の帝国は、外戚や宦官が政府の主要なポストに就き、私利私欲に走って権勢を振るったために滅亡したという例が非常に多い。もちろん、外戚や宦官のほとんどは皇帝の姻戚や側近だというだけの理由で就任しており、私財を蓄えることに夢中で、国を運営する気概もなければ必要な知識もなかったのである(※)。
※ もちろん例外もいる。漢の武帝に仕えた霍去病(外戚)、後漢の和帝に仕えた蔡倫(宦官)、明の永楽帝に仕えた鄭和(宦官)など、有能な人物が重要なポストに就くのであれば問題はない。なお、史記を著した司馬遷のように、宮刑(皇帝の怒りを受けた人物を擁護したことが原因)を受けていても宦官にならないケースもある。
加藤大臣もまた、カネについての暗いうわさ(※)が絶えない。多くの報道機関が、様々な不祥事についての報道を行っている。それも一度や二度ではない。一度や二度なら、何かのミスということもあるのかもしれないが、ここまでくると政策はそっちのけで蓄財に熱心な人物という印象を受けるのが普通の感覚であろう。
※ AERA dot. 2023年10月5日「加藤鮎子大臣はカネの問題も世襲? 父の元秘書が語る、カネ集めが下手過ぎる名門「加藤家」とは」、TBS NEWS DIG 2023年9月15日「加藤こども政策担当大臣に「政治とカネ」問題 資金管理団体がパーティー券収入250万円の記載ミス」、日刊ゲンダイ 2023年9月28日「また醜聞! 加藤鮎子こども相に“違法疑惑業者”太陽光発電の社長との「蜜月写真」発覚」、週刊女性PRIME 2024年2月20日「「カネの不祥事にパワハラ疑惑」ベビーシッター券を約70万枚“乱発”のこども家庭庁、問われる加藤鮎子大臣の迷走ぶり」、毎日新聞 2023年10月30日「加藤こども担当相、政治資金で実母へ家賃支出認める 「適切に処理」」など
(3)秘書に対するパワハラ
また、加藤大臣については、自分より弱いものに対してパワハラを行う性格という印象が非常に強い人物である。最近でも、秘書に対してパワハラを行ったという報道がなされている(※)。
※ デイリー新潮 Biz 2024年1月4日「「農道を90キロで爆走」「寝坊して逆ギレ」 加藤鮎子大臣、数々のパワハラを元秘書が告発「当選後に逃げ出した秘書は10人以上」【スクープその後】」、Asagei Biz 2023年10月1日「加藤鮎子氏の“元夫もおののく”パワハラ気質/第2次岸田内閣の「火薬庫」(2)」
それでも有能であれば、まだ救いようもあるが、この点についてもあまり芳しい評価は聞こえてこない(※)。冒頭でも述べたように、国会での野党の質問にまともに答えられないのである。大臣が高給を得ているのは、高い能力と見識を持って、行政機関を導いていくという困難な仕事をするからであろう。た行くからであろう。野党議員の基本的ン質問にまともに答えられずに「新人いじめ」と同情されるようでは、その給与に値しないとしかいいようがない。
※ 日刊ゲンダイ 2024年3月14日「少子化対策の“デタラメ指標” 加藤鮎子こども政策相「これからも活用」原稿ボー読みの愚」、SmartFLASH 2023年11月1日「加藤鮎子こども相、蓮舫氏の「千本ノック」質疑にタジタジ「ポンコツぶり目だった」「新人いじめ」渦巻く賛否」、週刊現代 2024年3月12日「大臣の答弁が下手すぎて、議場騒然!「あまりに能力不足」…官僚たちも呆れている「議員の名前」」
2 能力・知識がない人物の大臣就任は国家のリスク
医師や弁護士に就任するには、一定の国家試験に合格する必要がある。公務員についてもこれは同じである。
一方、大臣のポストは総理大臣が自由に選考することになっている。従って、法的には、誰を選ぶかは総理大臣が自由に決めることができるのである。これは、総理大臣は、選挙で選ばれた国会議員の互選で選ばれた、国民の代表だからであろう。
しかしながら、その選考の過程や、選考した人物の適否について問題があれば、選んだ総理大臣ばかりか選ばれた大臣についても、国民から批判を受けることになる。これは、民主国家として当然のことである。
繰り返すが、大臣のポストはかなりの高給なのである。高給の理由は、高い能力と見識を持って、行政機関を導いていくという困難な仕事をする必要があるからなのだ。
無能な大臣が就任すれば、国民の生活と、状況によっては生命・健康までを左右することになるのである。その職務を遂行する能力と条件がないのなら、そのような職務に就かせてはならないのだ。
そればかりか、国務大臣は諸外国の政治家や公務員と折衝を行ったり、海外の報道機関のインタヴューを受ける機会もあろう。その場合に、必要な専門知識や交渉能力に欠けていては、国家のリスクになりかねないのである。
諸外国の大臣は、任命者から見て、十分な知識と能力があり、任命者の意を受けてよい仕事をしてくれる人物を就任させるのである。それが「普通の国」の常識であるから、外国の外交官やメディアは日本の大臣に対してもそれを当然と考えるのである。
このため、無能な人物が大臣に就任していると、国際的に恥をかくだけならともかく、外交でいいように扱われてしまう。要するに舐められるのである。
これでは国益が損なわれてしまうのだ。
3 なぜ日本では無能な大臣が就任するのか
総理大臣は、ある意味で人気稼業であるから、内閣のスタッフ(大臣)は優秀な人物が望ましい。実態はともかく、マスコミ受けが良く、国民から見て優秀な人材だと思われることが望ましいはずである。
また、自らの信念に基づいて日本という国家の経営を行いたいのであれば、その実現に役に立つ能力を持っていなければならないはずである。
ところが、日本では無能なばかりか専門的な知識もない人物が大臣に就任することが多いのである。
これは、小選挙区制の下で、総体多数の支持を得ていれば、絶対多数の当選率が見込めるのである。そのため、国民がどう思うかを考える必要がほとんどないからなのである。
マスコミが作り出す「野党は頼りない」というイメージと、創価学会・統一協会の集票能力に乗っかっていれば、自民党政権そのものは安泰である。
そうなると、国民の眼より怖いのは自民党・公明党内の実力者である。そのため、各派閥の領袖などの有力者の二世、3世ばかりの議員や公明党の議員の中から、能力など無関係に大臣を選ぶわけである。
まさに、自民党・公明党のムラの中での実力者の権力の分け合いの構図となっているわけである。
この結果、加藤氏のような官僚が作成した答弁書さえまともに読めない無能な人物が大臣ポストに就くわけである。
4 我々はどうするべきなのか
これでは、各府省の業務が滞るばかりか、適切な法改正を行うべき国会も空転することになる。そのしわ寄せを受けるのは国民ということになる。
ある意味で、加藤氏のような人物を大臣に据えるのは、任命権者(総理大臣)が国民を馬鹿にしているからできることだといってよいであろう。
であれば、国民としてどうするべきかは明らかであろう。要するに馬鹿にされないようにすればよいのである。政府が何をしているかに関心を持ってその動向を見極めることである。
そして、政府の行っていることについて、SNSやブログなどで批判をしてゆくことである。そんなことをしても役に立たないと思うかもしれない。しかし、一人一人の声は小さくても、多くの人が声を挙げれば多くの人の目につくことになる。
そればかりか、ときにはマスコミにも報じられることになる。雪にひとひらは小さく、軽くてもこれが集まれば大木をも倒すことができるのである。
国民の一人一人が声をが得てゆくこと、これは、我々が考えるよりも効果は大きいのだ。