- 1 野中氏の逝去を悼む
- 2 野中氏亡き後の保守政治家たち
- (1)政治の中枢を占める人々
- (2)9条改悪をしたがる政治家
- (3)マイノリティを攻撃する保守政治家
- 3 最後に=国民の意思を反映しない小選挙区制は廃止せよ=
1 野中氏の逝去を悼む
執筆日時:
一部追記:
筆者:柳川行雄
元内閣官房長官の野中広務氏が1月26日に逝去された。92歳だったという。大正生まれで、世界大戦に従軍した経歴を持つ、たたき上げの保守政治家であった。
世界大戦に従軍した経験を持つ政治家は、あの戦争を肯定的に評価するタイプと、冷静に負の側面を評価し得るタイプに分かれるように思う。野中氏は明らかに後者であった。そして、戦争を実際に体験していればこそ、あのような惨禍を、政治家の手によって繰り返してはならないと強く考えておられ、またそのように行動しておられた。
また、氏はたたき上げの政治家として、マイノリティの気持ちや立場、状況を思いやることができるタイプだったように思う。
今、氏が亡くなったことは残念でならない。それは、戦争に従軍した経験がなく、マイノリティの立場に身を置いたこともない、"育ちの良い"政治家ばかりが政権の中枢部を占めつつあるように思えるからだ。(※)
※ 菅総理が、大学を自力で卒業したことを理由に「苦労人」をウリにするほど、自民党には苦労や貧困を経験した議員がいないのである。
2 野中氏亡き後の政治家たち
(1)政治の中枢を占める人々
もちろん、"育ちが良い"政治家であっても、戦争の惨禍を想像することができ、またマイノリティの状況を思いやる能力があれば問題はない。ところが、現状ではそのような政治家がいなくなりつつあるのではないかと思えるのである。
(2)9条改悪をしたがる政治家
現在、9条を改悪したがっている"育ちの良い"戦後生まれの政治家たちが政治の中枢にいる。しかし、彼らは9条を改悪して何をしようというのだろうか。みたところ、海外派兵をしてテロリストとの"正義の戦い"に参加したがっているようだ。だが、その戦いをするのは誰なのだ。その政治家たち本人でもなければ、さらに"育ちの良い"その息子たちや娘たちでもないことだけは確かなのである。
戦争に駆り出されるのは、いつの世でも一般国民なのだ。そして、駆り出された国民が殺し殺される相手は、ザルカウィやバグダディのような連中ばかりではない。人間の盾として彼らと行動を共にすることを強制された人々、少年兵として駆り出された子供たち、"正義の戦争"で、親や子、恋人、兄弟、配偶者を殺されて復讐心に燃える人々がいる。彼らはテロリストなどではないのである。
戦場では、戦闘が起きれば、殺されたくなければ、"敵"を殺さなければならない。だが、殺す相手にも、親があり、恋人たちがおり、息子や娘がいるのである。生身の人間なのだ。戦闘ゲームのディスプレイに表れる兵士ではないのである。戦場では、生身の人間を殺さなければならない状況も出てくるのだ。
そして、戦争から帰ってきてから、精神を患い、体の一部を失い、視力を失い、聴力を失って生きていかなければならない人々がいる。また、息子を失い、恋人を失って悲嘆にくれる人々がいる。
残念ながら"育ちの良い"政治家たちには、そのことを想像する能力に欠けているようだ、それとも自分とその家族は傷つくことはないから良いとでも思っているのだろうか。
(3)マイノリティを攻撃する保守政治家
また、社会的なマイノリティの状況を思いやる能力を失っている政治家もいるようだ。
ア 貧困な女性に対する暴言
朝日新聞の報道によると、某国会議員が「高校も大学もみんなが援助するのは間違っている
」「とりあえず中学を卒業した子どもたちは仕方なく親が行けってんで通信(課程)に行き、やっぱりだめで女の子はキャバクラ行ったりとか
」と発言したされる。また、この報道によると、この議員は「望まない妊娠をして離婚し、元夫側から養育費を受けられず貧困になる
」との持論を展開したとのことである。
この議員の発言は、ある市民団体からの就学支援への要望に対するものである。その要望は、進学したいにも拘わらず経済的な理由でそれがかなわない若者を支援してほしいということであった。それに対して「仕方なく親が行けってんで通信(課程)に行
」く若者のことを持ち出すのは、やや非論理的というものであろう。
だがそれ以前の問題として、この議員には貧しい人々の状況を思いやる想像力が欠けているのである。確かに、進学して、親からの支援がないために風俗で働く女性は、現実にいないわけではないだろう。そのような例があること自体は私も否定しない。しかし、それは彼女たちを非難する理由にはならない。むしろそのようなことが起きる国の在り方こそが非難されるべきであろう。そのようなことが起きないように、国の就学支援制度の在り方を考えるのが国会議員の仕事ではなかろうか。
また、「望まない妊娠をして離婚し、元夫側から養育費を受けられず貧困になる
」とのことだが、そのような女性には生活支援が不要だという趣旨だとすれば、とんでもない話である。(特殊なケースは別として)貧困の理由は問わずに、支援が必要な国民(のみならず状況によっては外国人を含めて)に対して一律に支援するのが、国の政策であるべきだ。望まない妊娠をして離婚した者も日本国民なのである。そして、日本の国民のために仕事をするのが国の仕事であろう。このようなところに自己責任論を持ち出すべきではないのだ。
イ 片山さつき議員が女子高生をネットでつるし上げ
また、ある女子高生があるテレビ局のインタヴューで自らの貧困について話したところ、その女子高生のSNSの過去の発言が問題となってネットで炎上したケースがある。ところが、この事件では、現職の市会議員や国会議員の片山さつき氏までがこの未成年者を対象とする炎上に関わっているのである。
問題となったテレビ局のニュースをみると、この女子高生は、しっかりした女性であるという印象を受ける。しかし、一般論ではあるが、未成年者の場合、炎上の対象になれば精神的な疾病を発症することさえ考えられるのだ。国会議員や市会議員が、未成年者相手の炎上を防止するというなら分かるが、率先してこれに関わるようなことは如何なものであろうか。
未成年者を相手に、国会議員がするようなこととは私には思えないのである。
ウ タクシー会社の社員を処分したがる国会議員
かなり前になるが、脱原発を主張する国会議員が、T市でタクシーの配車を断られたと、毎日新聞が報道した。この議員は、議員という地位・立場を利用して官房長官まで動かし、このタクシー会社の職員を処分させた。
しかし、原発が停止したことによって、T市の経済状況が極度に悪化したこともまた、厳然たる事実なのである。私自身、数年前に原発の停止しているT市に行ったことがあるが、利用したタクシーの運転手によると、水揚げが大きく落ちて、いったん正社員から解雇されて嘱託として再雇用されたとのことだった。水揚げが落ちて厳しい状況なので、会社をつぶさないために労働者も反対しなかったという。収入は減って、「もうT市は終わりですよ」と言っていた。
国会議員のような、もともと収入の高い者の収入が下がるというのとはわけが違うのである。タクシー会社の社員は、もともとの収入がそれほど高くはないのだ。子供が高校や大学への進学をあきらめざるを得ないようなこともあっただろう。
そのような中で、この配車拒否事件が起きたのである。配車拒否が、許されることではないことはもちろんである。しかし、配車拒否をしたくなる気持ちもまた、分からなくもないのだ。
ところが、この国会議員は、政府機関を用いて相手を処分に持ち込もうとするのである。相手の生活がどうなるかなど考えることはしないのだ。はたして、こういう人物に我が国の国政の舵取りを任せるだけの資質が備わっているといえるのだろうか。
エ それで何人死んだんだとヤジを飛ばす副大臣
この1月25日の国会で、共産党の議員が、沖縄のアメリカ軍機のトラブルについて質問しているとき、某副大臣から「それで何人死んだんだ」というヤジが飛んだ。
沖縄に基地が集中している現実があるのだ。基地のない側の本土の人間として、このような発言をするというのは、政治家というより前に人間として如何なものであろうか。そういうことを言うなら、厚木の米軍基地の隣へ引っ越すがよろしかろう。もし小学生の孫でもいるなら普天間小学校へ転校させることだ。
議員は"人が死んでいない"からよいではないかと言いたいのかもしれないが、それは"今のところ"にすぎない。小学校の校庭や保育園の園庭にヘリコプターの部品が落ちれば=というより現に落ちているが、子供が巻き込まれて死ぬことだってあり得るのだ。
沖縄県民の状況に対する想像力が欠けているとしか言いようがない発言である。
3 最後に=国民の意思を反映しない小選挙区制は廃止せよ=
このような"育ちの良い"政治家ばかりになっている状況の中で、野中氏のような政治家が逝去されたことは、残念というよりほかはない。
もう一度、保守政治家に野中氏のような、戦争の悲惨さやマイノリティの状況に思いをはせることのできる政治家が現れることはないのであろうか。
私は、小選挙区制がある限り、それは不可能だと思っている。小選挙区制の下では、相対的多数派の支持を受ける政党のいいなりになる人物しか国会に出てこれないからである。小選挙区制とは、マイノリティを排除し、多様な意見を国会に反映することができなくなる仕組みあることは当然である。またそればかりか、政権党の中で中枢に物申すことができる人物も出てこれなくなるのだ。
小選挙区制度というのは、国民の意見を反映しない制度であるが、もう一度、野中氏のような政治家の活躍の場を与えるためにも小選挙区制は廃止するべきであると最後に述べて本稿を終えることとしたい。
国民の意志を正確に反映しない小選挙区制度は即刻廃止せよ!