- 1 内閣官房参与が国民の死者を嘲笑するツイート
- 2 国民の生命より五輪の方が大切か
- 3 外国の死者数より少なければ「さざ波」と評価するのか
- 4 死者を笑うな
- 5 国民の生命と五輪を比較するのは相模原事件と同じ発想
- 6 高橋氏による「釈明」がコトの本質を明確にした(5月11日追記)
1 内閣官房参与が国民の死者を嘲笑するツイート
執筆日時:
一部追記:
筆者:柳川/平児
「日本のこの程度の『さざ波』。これで五輪中止とかいうと笑笑」
菅総理が任命して、総理としての仕事を行うための助言を求める内閣官房参与の高橋洋一氏のツイートである。SNSで多くの国民が匿名又は実名で批判をし、国会でも取り上げられている。
総理は、このツイートに対してコメントしないという形で、消極的な支持をしている。だが、これは極めて重大な問題である。
以下、これについての問題点を指摘したい。
2 国民の生命より五輪の方が大切か
高橋氏は、日本の感染者数(死者数に直結している)が諸外国よりも少ないことを理由に、感染者(すなわち死者)が発生していることは五輪の中止の理由にならないと指摘しておられる。
だが、五輪で得られるものは何だろうか。それは第一にIOCの利権であり、スポンサー企業の利権であり、菅総理の政治的野心であり、小池知事の政治的野心である。
国民の生命と比較するようなものではないのだ。
もっとも、高橋氏は五輪で得られるものは利権ではないと言いたいようだ。高橋氏は、このツイート前に、「反五輪なら見に行かなければいいだけ。アスリートや他人を巻き込むな。反ワクチン運動と似ているな。反五輪の人だけで数千億円の賠償金を払うつもり」などとツイートしている。五輪で得られるものは数千億円の賠償金を逃れることと、アスリートの努力を見守ることだとの主張のようだ。
いいだろう。だが、このツイートは高橋氏のレベルの低さを証明しているだけだ。仮に高橋氏の言うことが正しいとしても、コロナで亡くなっている国民の生命(※)と数千億円(事実だとして)を比較すれば、どちらが大切かは子供にでも分かることだろう。まして、アスリートの努力は尊いが、それは国民の生命と比較できるようなものではない。
※ 2021年5月10日現在の日本の実際の死者数は累計で10,981人である。さらにいうなら、高橋氏の言う「アスリートや他人」は、批判派にコロナを感染させないとでもいうつもりだろうか。まして、「反五輪の人だけで数千億円の賠償金を払うつもり」などと、五輪推進派の産み出した賠償金について「他人を巻き込むな」と言うべきであろう。
あまりにも、言っていることが幼稚なのである。
3 外国の死者数より少なければ「さざ波」と評価するのか
また、諸外国との比較で死者数が少ないことを「さざ波」の理由としているが、日本の死者数より諸外国の死者数が多いことは、日本にとって死者の問題が小さいことを意味しない。
高橋氏の理屈では、日本で死者が10万人出ても、他国でその数十倍出ていれば「さざ波」ということになってしまう。冗談ではない。諸外国にとっては、その死者数は大災厄なのである。
日本で死者が出ていることが問題なのであって、外国の死者数より多いか少ないかではない。日本にとっても外国にとっても、それは大きな悲劇なのだ。
これを比較の問題だとしてしているところが、三流学者の三流たる所以なのであろう。
4 死者を笑うな
労働安全衛生に携わる者なら誰でも知っている話がある。
【一人の死者の意味するもの】
ある企業で労働災害が発生し、妻子を残して男性職員が亡くなった。葬儀に来た社長は型通りの悔やみの言葉を奥様に告げた。奥様は黙って聞いていたが、このように尋ねた。
奥様:会社には何人の従業員がお勤めですか。
社長:○○人です。
奥様:会社は○○人のうちの一人を失っただけですが、私はすべてを失いました。
平児は、柳川氏から労働安全衛生の出発点はここにあると教えられた。死者の数が少ないから「笑笑」と哄笑するような態度は人間として如何なものであろうか。
高橋氏は「日本はほかの国と比較し、圧倒的に感染者が少ない。五輪を中止するとなると、ほかのスポーツはどうなるのか
」(※)と反論されたという。あくまでも外国との比較の問題だと言い張っておられる。
※ スポーツ報知5月10日「内閣官房参与の高橋洋一氏が反論 感染状況「さざ波」批判に」による。
5 国民の生命と五輪を比較するのは相模原事件と同じ発想
もちろん、経済活動を冷え込ませないことは極めて重要である。経済活動が冷え込むことによっても死者は出るのだ。そこに、政治家としての冷徹な価値判断が必要になることはあろう。一般論としては分からなくもない。
だが、国民の生命と五輪は比較することなどできない。まして数千億円の賠償金(事実だとして、国民一人当たり数千円)と国民の生命を比較するという発想は、人間として誤っているばかりか、きわめて愚かな判断なのである。このような発想には相模原事件と共通のものがあるというべきである。
こういう人物を、わざわざ政策の相談役としての官房参与にしている菅総理は、総理としての資質に欠けるというべきだ。
6 高橋氏による「釈明」がコトの本質を明確にした(5月11日追記)
公明党の山口代表は、11日に「国民の窮状や不安を十分に配慮した言葉遣いが大切」(※)と述べたとされる。内容への批判ではなく、表現への批判である。「コロナによる死者は世界的にみて少ないから五輪の方が重要」という内容については党として批判はしていない。容認しているということであろう。
※ 毎日新聞2021年5月11日「高橋内閣参与が投稿を釈明『支障出る用語使わない』 撤回はせず」
国民の批判へは無視をしていた高橋氏だが、公明党による批判の後、Twitterで「世界の中で日本の状況を客観的に分析するのがモットーなので、それに支障が出るような価値観を含む用語は使わないようにします」と釈明した。
表現の問題について釈明し、日本のコロナの感染者数(従って死者数も)は、「世界の中で」少ないので五輪推進の方が重要だという内容は正しいと明言したわけである。この人物を内閣参与にしている菅政権の本質は、「国民の生命よりも五輪が重要」すなわち「五輪ファースト」だと証明されたわけである。