DaiGo差別事件の本質とは


DaiGo差別YouTube事件は、単純な差別事件とは様相を異にしています。この事件は、差別を「金銭的な利益を得る手段」として行い、しかもそれが成立してしまうというやりきれない面を持っています。

その問題の本質がどこにあるのかを探ります。




1 DaiGo差別動画YouTube投稿事件とは

執筆日時:

加筆修正:

筆者:平児


(1)ただの差別事件ではない

なんともやりきれない事件である。この事件を知ったとき、そもそも DaiGo 氏という人物を知らなかった。最初は、またネトウヨの YouTuber が凝りもせずに差別を煽っているなと思っただけだった。

YouTube のみならず SNS の差別投稿などめずらしくもない。いちいち気にしていては神経が持たないのである。

ただ、この事件を知れば知るほど、この事件はネット右翼が垂れ流しているたんなる差別事件とは様相が違うのではないかと思えてきた。


(2)事件の経緯

事件の経緯は、チャンネル登録者数 250 万という YouTuber の DaiGo 氏が「生活保護の人が生きてても僕は別に得しない」「ホームレスの命はどうでもいい」「犯罪者を殺すのと同じ」などと発言したのが発端である。当然のことながら SNS で多くの批判を受けた(※)

※ BUZZ Feed JAPAN 2121年8月13日記事「『ホームレスの命はどうでもいい』人間と猫の命を比較し… メンタリストDaiGo氏の発言に批判殺到」など。

DaiGo氏は、批判を受けても、最初のうちは「個人の感想」にすぎないとして、批判者を鼻であしらうような態度をとっていた。しかし、批判の輪が大きくなると、まずいと思ったのか、あっさりと謝罪動画をアップしたのである。

ところが、この謝罪動画も、自分は虐めを受けた経験があるから他人を攻撃したという言い逃れに終始していた。また、頑張っている生活保護受給者やホームレスもおり、そのような人びとは評価できるというものだった(※)。このため、さらに火に油を注ぐことになったのである。すると、DaiGo 氏はこの謝罪動画もあっさりと撤回し、別な謝罪動画をアップしたのである。

※ 頑張っていない、生活保護者については、彼の特殊な持論を変えないということであろう。

なお、DaiGo 氏はインフルエンサーのYouTuber とはいえ一個人であるから、その発言の内容については批判をするが、DaiGo 氏個人を批判するつもりはない。もちろん、このような人物とお近づきになりたいとは思わないが。


2 DaiGo 氏は何を目的としているのか

DaiGo 氏の一連の投稿を見ていると、最初の差別動画も、後の2本の謝罪動画も、どちらもあまり本気とは思えないのである。もちろん、DaiGo 氏が生活保護受給者やホームレスに対して、関心も同情の念も持っていないことは明らかである。

ただ、片山さつき氏のような、貧困者に対する信念としての差別意識や、杉田水脈氏のような少数派に対する強固な敵愾心は感じられないのである。

むしろ、才走った若者が、生活保護受給者やホームレスについての知識もないまま、広告収入を得るための手段として差別を用いたという印象を強く受けるのである。YouTube というのは、炎上しようがバズろうが再生数が多ければ広告収入が上がるのである。

すなわち、差別によって批判を受けて再生数を上げようと思ったのではないかと思えるのである。

※ これについては。逆の意味からではあるが、堀江貴文氏の指摘によって本質が露呈していると言えるかもしれない。日刊スポーツ8月13日記事「堀江貴文氏『すげぇがんばって炎上させている』DaiGoの炎上騒ぎで私見」によると、堀江氏は、DaiGo 氏への批判に対して「真実なんかたぶんどうでも良くて、みんな『メンタリストDaiGoがホームレスとか生活保護を受けている人を差別する発言をした。こいつはとんでもない奴だ、死ねー!』みたいな感じのことをやりたくてやってる」と評している。

堀江氏にとっても、生活保護受給者やホームレスに対する差別は「脇が甘い」という程度のことなのである。すなわち、商売のネタとして不注意だったという程度の認識なのだ。彼にとっては、その差別の持つ重大な問題点が理解できていないのである。すなわち、「差別を利益を得るための手段とするに当たって、不注意だった」という発想なのである。

DaiGo 氏は、自ら動画が多くの批判を浴びても、なぜ批判されているかなど、まったく理解できないまま、どうすれば謝罪らしく効果的に見えるかを彼の高いIQ(※)で計算して、それらしい謝罪動画を作ったように見えるのである。この謝罪動画もまた、たんに再生回数確保の手段だったのではないだろうか。

※ 事実関係は確認できないが、本人がそう言っている。

そして、最初の謝罪動画が(当然ながら)批判を浴びると、これを削除して別な謝罪動画をアップした。この内容についてもいくつかの報道機関が報じている(※)が、前の動画に比較してあまりにも芝居がかっている。最初の差別動画と打って変わった、しおらしさではある。

どう見えるかを計算しつくして作った動画だということがあまりにも見え透いている。そもそもわずか1週間前にあのような差別をしていた人物が、ここまで豹変するとは到底信じられないのである。

※ スポニチアネックス 2121年8月14日記事「DaiGo前夜の謝罪を“撤回”し再謝罪『自分の母を傷つけてしまったぐらいの感覚』涙ぐむような一幕も」など。


3 DaiGo 氏の差別事件の本質とは

私が、この事件にやりきれなさを感じるのは、差別と偏見という、差別される側に死の苦しみを与えるようなことを、利益確保の手段として使うことができてしまう情報社会の現実である。

私は、DaiGo 氏個人の行為を問題にするのではない。DaiGo 氏がやらなければ他の誰かがやっただろう。強い差別意識を持った人物ではなく、差別についてあまりにも知識と感性のない未熟で軽薄な人物が、金儲けの手段として差別と偏見を用い、それが成功してしまう情報技術と社会のあり方に恐怖感を覚えるのである。

技術の問題としては、SNSやブログなど、悪意のある人物が他人平気で傷つけてしまうことができる手段に対して、対抗できる手段がほとんどないことである。今回は DaiGo 氏が有名なYouTuberだったために顕在化したが、TwitterやYouTubeなどSNSには差別と偏見が批判を受けないまま溢れている。それは簡単には消されることはなく、著者に広告料を与え続けているのだ。

そして、もうひとつは DaiGo 氏のような、差別や偏見に無理解な人物のチャンネルやTwitterに多くの人々が賛同するという事実だろう。

※ また、DaiGo氏の動画は、はっきり言って倫理的にも知識という面からもレベルが高いとは言い難い。たんに学術的な根拠もなく巧妙に他人をだます方法を伝えているに過ぎないのである。このようなレベルの低い動画が、ここまで支持を集めるということにも驚きを覚える。

もちろん、差別をなくそうという人々のチャンネルやTwitterにも多くの人びとが集まるのであるから、希望はあるのかもしれないが。

DaiGo 氏は本人も最初の動画で述べているように、生活保護受給者やホームレスについて、知識もなければ、また知ろうともしてこなかったのである。彼らにも人間としての尊厳と、誇りと感情があることなど想像もできないのであろう。

なお、一言断っておくが、私は DaiGo 氏を全く評価も信用もしていない。しかし、彼も、この事件などで経験を積んで成長していくかもしれない。将来性をつぶしてしまうようなことは避けなければならないということは指摘しておきたい。


4 最後に

これまで、問題となった差別事件の多くは、麻生太郎氏、片山さつき氏、杉田水脈氏など強い差別意識を持った人物によって行われてきた。彼らは簡単には謝罪しなかったし、したとしても「迷惑をかけたとしたらごめんなさい」と形だけ謝罪して、再び差別を繰り返すのが常であった。

今回の事件は、差別の対象となる人々に対して無知な人物が、利益を得るための手段として差別を行ったという点が薄気味の悪さを感じさせるのである。そして、批判を受けると、いかにもそれらしい謝罪をして、その謝罪さえが、利益を得るための手段になっているということがである(※)

※ DaiGo氏は、生活保護者の立場に立って政府やネット右翼を批判することで再生数が稼げると思ったら、喜んでそうしていただろう。以前、「差別をする者は頭が悪い」という趣旨の動画もアップしていたこともある。儲かりさえすれば、信念などどうでもよい人物なのだ。

差別は人を殺すのだ。その差別が金儲けの手段となるということがやりきれなさを感じさせる。