3 国を守るには民間交流の推進が必要だ
(1)戦争はいきなり起きるわけではない
ア 憲法9条は、改憲派が言うように理想論に過ぎないのか
では、国をどうやって守るのか、改憲論者は憲法9条など理想論だと主張している。だが、本当にそうだろうか。
憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」
とされている。本当にこれは理想論に過ぎないのだろうか。
本当に「平和を愛する諸国民の公正と信義」
は「安倍総理やレーガン元大統領、ブッシュ元大統領、トランプ大統領」よりも信頼できないものなのだろうか。私には、戦争の危険(だけでもないが)という観点から見た場合、安倍総理やトランプ大統領の方が信用できないように思える。
イ 第二次世界大戦がはじまったのには理由がある
第二次世界大戦は、直接の(表向きの)理由はヒトラーが第一次大戦によって失った領土の復活を目的として始めたものであり、我が闘争によればヨーロッパ域内に植民地を求めたものであった。また日本が米国との戦争を始めたのは、米国から軍需物資の輸出を止められために「じり貧」になることを避けるために博打に出たという面が大きい。
戦争とはある日どこかの国の指導者がいきなり神の啓示を受けて他国を侵略することによって起きるわけではない。
第二次大戦の例では、第一次大戦の勝者によるドイツへの賠償請求がドイツの経済を疲弊させ、これによる困苦を受けたドイツ国民の不満がヒトラーという独裁者を生んだことが背景にある。また、極東では日本が中国への侵略を続けたことと、英米と敵対する3国同盟に与して米国からの経済制裁を受けたことが背景にあるのだ。
すなわち、第二次世界大戦はヒトラーが欧州をドイツの経済圏の支配下に組み入れようとしたため、日本が中国、朝鮮、台湾を自国の経済圏に組み入れようとしたために起きたという面がある。
軍事力によって他国を経済的に支配する=植民地化することができると考えられていた時代だったのである。
(2)戦争をなくすためには友好関係の構築こそ必要
ア 経済の交流は戦争行為を不可能にする
しかし、現在は、軍事力によって他国を植民地化できるような時代ではないのである。むしろ、他国を軍事力で支配するよりも、経済協力によって共に発展する方がよほど効率的なのである※。
※ 中国の歴代王朝は北方騎馬民族との間に“朝貢貿易”という制度をもっていた。これは北方の騎馬民族が中国に攻め込んでくることを防止するために、軍事力で対抗するのではなく経済的な恩恵を与えるという制度である。この方が理に適っていたのだ。
北方の騎馬民族としても、漢民族相手に戦争をするよりも朝貢貿易で利益を上げるようが理に適っていたためにこの制度は機能していた。
現在の国際社会においては、中国や韓国、中東諸国など、各国と経済的なつながりを持つ方が、9条を改悪して軍事力の増強を図るよりも、よほど戦争防止に役立つのである。
経済的なつながりを強化すれば、その相手国と戦争してその関係を破壊してしまうことは簡単にはできなくなる。しかも、経済交流は当然のことながら、顔の見える人的交流が伴うのである。見たことも会ったこともない人間相手なら、戦争を起こす気になっても、仕事で付き合って気心の知れている相手には戦争を起こそうという気にはならないものである。
韓国との間に緊張関係を生み出し排外関係を煽り、9条改悪を図る安倍政権のやり方ではなく、まず他国との関係をよりよくし、民間レベルでの経済交流を紡いでゆくことこそが国民を守ることになるのだ。
イ 国民の市民レベルの交流による友人・知人を増やすことが有効
第二次世界大戦のころまでは、日本人のアジア人に対する関係はいびつなものであった。人間対人間という対等な関係を築こうとしなかったのである。これが、戦争に突入する大きな背景になっていたと私は考えている。
この人間を人間と考えない関係が、南京の虐殺や従軍慰安婦のようなところまで発展し、また米国との関係では、逆に日本の都市への爆撃※を受けたり、原子爆弾が使用されることにつながったのではなかろうか。
※ 意外に思うかもしれないがヒトラーは、対英米戦の初期には民間人を殺害しないように注意していた。アセニア号の事件は意図的なものでなかったのである。また、大量に保有していた毒ガスも最後まで使用を命じることはなかった。同種同文の間柄だからであろうか。もっともスペイン内乱や、対ソ戦争では徹底した都市爆撃や市民の殺害を行っているが。
だが、現代の若者たちは親の世代とは異なって、一部を除けばアジア人に対する偏見は払しょくされつつある※。また、高校、大学などでも積極的に外国人を受け入れている。このような民間レベルでの交流が、アジアとの間に個人的な友好関係を増やしてゆくこととなろう。
※ もちろん、一部には極端な排外主義を唱え、ヘイトスピーチを繰り返す者もいる。そして安倍政権の閣僚には前経産相の菅原氏のようにヘイトの規制に反対を唱える者もいる。彼らこそ、日本の国際的な信頼を損ない、国益を損なう人びとだと言えよう。
このような関係を築いてゆくことこそが、憲法9条改悪よりもはるかに我が国の安全を強化すると私は考える。
ウ 過去を正しく評価することこそが重要
もちろん、他国との友好関係を築くためには、過去を正しく評価する必要がある。どのような国家も、過去の歴史をたどれば多くの過ちを犯しているものである。我々は、まさにその過ちの上に立っているのである。
そして、その過ちを正しく評価し、それを過ちであったと認めることが他国との友好関係には必要・不可欠なのである。
いくつかの例を挙げれば、南京の大虐殺、従軍慰安婦、強制徴用、関東大震災での朝鮮人の虐殺、万歳事件での朝鮮人虐殺、霧社事件の台湾人の虐殺などがある。残念ながら、現在の安倍政権はこれらの事件を否定したがっているのである※。
※ 政府は公式にはこれらの事件を否定していない。しかし、安倍総理を始めとして、政権の閣僚級の人々のほとんどはこれらの事件について、存在そのものを否定しようとしている。
過去の国家の犯罪を認めようとしない国は「美しい国」なのだろうか。隣国の女性たちを“性奴隷”としておきながら、彼女たちは「売春婦」だと非難するような国家が、国際的に信頼を得ることができるだろうか。
そもそも、国民は、過去の国家の犯罪を認めようとしない国を愛することができるだろうか。
私にはそうは思えない。過去の過ちを認め、それは非難されるべき行為であったと認めること。そして、それらの行為を現に批判すること。これこそが国際的に信頼を得る道であり、また国民が真に国家を愛することができるための前提であろう。
安倍政権は、過去の国家の犯罪を認めないために、他国との間に緊張関係を生じるのである。そして、他国との間に緊張関係があるのだから憲法9条を改悪して軍備増強を図るべきだと言っている。このような安倍政権の態度こそが、我が国の国民を危険に陥れるのである。
(3)そして各国の民主主義の確立こそが、為政者の戦争への行動を止めることができる
そして、戦争をなくそう。私の友人・知人、場合によっては親戚のいる国と戦争をしてはならないという国民の声が政府に届くことが何よりも重要なのである。
だが、今、言論の自由に重大な攻撃が仕掛けられている。それについては別稿を起こしたいが、「あいちトリエンナーレ」や映画「主戦場」への政権側からの抑圧が行われているのだ。
また、安倍政権の別動隊とも言うべきネット右翼によって、ネットの世界での言論への攻撃が行われている。そして、(意図的ではないかもしれないが)「ネット右翼はネット上の発言者の住所を調べることができる」というニュアンスのマスコミのやや扇動的な報道が、ネット上での言論を委縮させている※。
※ 例えばDIAMOND Onlineの「『個人特定』被害者の恐怖と後悔、SNSを普通に使っただけなのに…」など、言論を委縮させる効果が大きいのではなかろうか。
彼らの言論への抑圧を許せば、為政者は言論抑圧への範囲を必ず拡大してくる。今は、歴修正主義への反対派が狙われている。次はだれが狙われるのだろうか。
戦争が始まる前には、言論への抑圧が行われる。これを食い止めるには何よりも言論の自由への為政者による攻撃に反対する必要があろう。